名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

仲直りは嘘だった

元禄15年4月28日。
昼過ぎ、日置鉄砲台屋西村理右衛門宅で村瀬市左衛門を国友甚兵衛が不意に切りつける。
市左衛門は相手をしようと後ずさりする。
すると甚兵衛は迫り来て、座敷から廊下を過ぎ、終には奥の間で切り殺される。
頭や肘を切って甚兵衛は立ち去るが、また戻って来て胸を突き、とどめをさす。
初め理右衛門は隠れていたが、この時甚兵衛に少し切りつける。
甚兵衛も理右衛門に切りつける。
理右衛門は逃げ去り、甚兵衛も立ち退く。
近頃、この3人は連れ立って伊勢を詣でていた。
国に戻る際、津と上野の間で喧嘩になりかけたのを市左衛門がおさめた。
土地も者や駕籠かきなども宥めたので大事にならずに帰ってきていた。
その後、仲直りしていた。
この日は市左衛門に酒などをすすめ、騙して切ったと。
甚兵衛は立ち退き、伯父の白坂の雲興寺に泊る。
伯父の坊はこう言った。
お前は人を傷つけながら、自分は生き延びようとしている。
死んだほうがましだと。
これを聞き、30日に雲興寺で甚兵衛は自殺して死ぬ。
市左衛門は愛宕大乗院の弟、清寿院の従兄弟であった。
少し前、米野の女は昨年知立年季奉公に出ていたが、年季があけて駕籠に乗って日置まで来ると駕籠かきが着るものや金などに目をつけた。
女の口に蓮花草・芝などを押し込み、縛り殺して裸にして逃げ去る。
先月、日置橋下で男が1人切り殺されていた。