名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-11-13から1日間の記事一覧

夜勤のための業務マニュアル

元禄6年8月11日。手紙を以って啓上する。御城代衆は御二之丸に泊まり、御番をふたりで勤めるようになるはずである。今日夕方から沢井三左衛門殿が御勤めになられる。とりわけ御本丸御深井丸では夜中であろうとも何かあれば御番所に知らせるように。この…

非情配備ですな

元禄6年3月26日。手紙を以って啓上する。火事の際には、先年はもちろん巾下片端三之丸においては御城へ駆けつけるようにと三左衛門殿が仰せであったが、今後は、南は押切筋より、北東は武平町筋より西までで出火の際は、先ず三左衛門殿の御宅へ聞きつけ…

12月29日の天気です

元禄6年12月29日。晴。

厳しくなっていくなあ

元禄6年12月28日。夜更けに雪が降る。触状がくる。ただ拝借金がある輩だけに。切紙を以って申し上げる。御家中で拝借金のある輩には来年戌年よりの上納の品をこの度お言いつけになった。書付1通を差し上げる。かつ又今まで除高除米(課税免除)があれ…

こりゃ大変だけど、火の用心

元禄6年12月27日。この日、成瀬隼人正組・竹腰筑後守組がそれぞれ1組15日替りで火事番を勤める。隼人正組は建中寺・相応寺・高岳院。筑後守組は万松寺・性高院・政秀寺。

御料て御預けの費用か

元禄6年12月23日。津守様(松平義行)奥番佐枝之右衛門を江戸の御殿より直に駕籠に乗せ、駕籠の上に細引き縄をかけ、この日尾張に到着する。兄の佐枝平兵衛に御預けとなる。乱心したと。しかし、平兵衛の他には兄弟にも会うことが許されなった。御料(…

慌てる姿は確かに怪しい

元禄6年12月21日。少し前より山村久兵衛は閉門となっていた。少し前、江戸城中で後藤弥次右衛門が九兵衛足軽がひとり不足しているのを不審に思った。久兵衛はこれは迷惑千万と目の色を変えた様子が怪しかったので尾張へ上る。

12月21日の天気です

元禄6年12月21日。朝、少し曇る。その後、晴れる。申刻(午後3時)、しばらく雪が降る。

人の願望から出た作り話だろうな

元禄6年12月20日。近頃、二三子と話しをすると、友が話したことを聞かせてくれた。宮川源太左衛門の槍の弟子で大関源右衛門という松平丹波守の家来が加納に住んでいた。この源右衛門婿に娘がいた。近頃、祖父の源右衛門から小袖を貰い、喜んで親に見せ…

12月20日の天気です

元禄6年12月20日。晴れているが風が吹く。

一旦納得したはずなのに

元禄6年12月19日。近頃、山口あたりを怪しげな者が徘徊していた。下に着込(武装)を着て紋を墨で消し、いかにも敵を狙うようであった。よくよく聞くと、六郎様御納戸志水甚之右衛門であったと。先ごろ、甚之助が御番の際、障子の下で眠っていた。する…

12月19日の天気です

元禄6年12月19日。曇。巳時(午前10時)、少しの間雨が降る。

12月16日の天気です

元禄6年12月16日。曇。巳半時(午前10時)、少し雨が降るが、晴れる。

それほど藩は苦しいのか

元禄6年12月15日。晴。来年からは9両2分の御合力金(援助金)もないと。先ごろ10両から2分減ったばかりであった。

12月14日の天気です

元禄6年12月14日。雨が激しく降るが、戌半時(午後8時)には止む。

12月12日の天気です

元禄6年12月12日。快晴。

誰が聞いているかわからない、用心用心

元禄6年12月11日。朝のうちは晴れる。正午過ぎからまとまった雪となる。酉刻(午後5時)になると止む。屋根の上には雪が6寸(1寸は約3センチ)積もる。申刻(午後3時)鈴木水之助に御暇を出す。夕方、水之助を小麦右のところへ連れて行く。言い渡…

12月10日の天気です

元禄6年12月10日。夜、雪が少し降る。

12月9日の天気です

元禄6年12月9日。晴。

12月8日の天気です

元禄6年12月8日。巳の時(午前9時)から曇。急に雪が降り始めるが、しばらく降ると雨となる。夜になると晴れる。

12月7日の天気です

元禄6年12月7日。雪が降り、寒さが厳しくなる。

そうかまだ名古屋には塔がなかったのか

元禄6年12月3日。先ごろ、七つ寺での塔の建立を申し上げる。名古屋には塔がなかったので願いが叶う。

12月3日の天気です

元禄6年12月3日。曇。正午から雨が始めるが、夜になると晴れる。