名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

誰が聞いているかわからない、用心用心

元禄6年12月11日。
朝のうちは晴れる。
正午過ぎからまとまった雪となる。
酉刻(午後5時)になると止む。
屋根の上には雪が6寸(1寸は約3センチ)積もる。
申刻(午後3時)鈴木水之助に御暇を出す。
夕方、水之助を小麦右のところへ連れて行く。
言い渡しには、この春の離別の始末もよくなかったと。
親類とも付き合いがなこと、行いを改めないことを申し上げこの処分となる。
この夜、道具を七郎右衛門が加藤平左のところへ運び出す。
畳唐紙も外して屋敷を明け渡すようにとの言渡しであった。
この屋敷を大田元右衛門が拝領する。
また御歩行衆水野七右衛門・奈須権兵衛に御暇を出す。
権兵衛は絵書宗仙の子で、病気がちであったための願いであった。
水野七右衛門は少し前に松岡伝助小頭となったが、その後七右衛門が伝助のような博奕打ちでさえ小頭に成れるのは御詮議がないからだと小頭の前でおどけて言ってしまった。
それを与風小頭が聞きつけ、捨て置くことはしなかった。
終には先ごろ伝助に御暇を申し上げる。
七右衛門も余計なことしゃべったと御暇を下される。