名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

一旦納得したはずなのに

元禄6年12月19日。
近頃、山口あたりを怪しげな者が徘徊していた。
下に着込(武装)を着て紋を墨で消し、いかにも敵を狙うようであった。
よくよく聞くと、六郎様御納戸志水甚之右衛門であったと。
先ごろ、甚之助が御番の際、障子の下で眠っていた。
すると御守見習の尾関円蔵が暗闇で誤って甚之右衛門の頭を蹴ってしまった。
円蔵ははっと思い、甚之右衛門を起こして粗相を謝った。
甚之右衛門は丁寧なことでかえって恐縮してしまう、何かこちらにも落ち度があったのではと笑って済ませた。
しばらくすると、甚之右衛門は我慢できないと思い始めた。
円蔵に状を送りつけ討ち果たそうとした。
仲間がこれを収めようとすると、甚右衛門は仲間にくってかかった。
それをまたほかの者の仲裁で収めた。
この後、甚之右衛門は御番に出てこないので病気として御暇を出すが、なおも円蔵を怨み狙い歩いた。