名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

あっという間に工事が始まっていたんだ

元禄7年9月22日。
公は清水新道を御覧になりながら御深井から出かけられたので拝謁はせず。
ことが急であったので御供の衆など多くは帰りに拝謁する。
ひしくい1羽を鉄砲で捕られる。
昼過ぎ、文左衛門は相原荻右衛門・岡本治郎右衛門と大殿様御下屋敷のあたりを見物に出かける。
先ごろ、隼人正組林浅右衛門・赤尾清兵衛・佐々木岡右衛門・石谷又大夫・幸村作太夫の以上5人の屋敷を召し上げる。
替地として六郎様(松平友重)御屋敷東の畑を下される。
その他出来町筋北側では残らず家を壊し、萱場池のあたりに住まいを移す。
にわかに大根を引き抜き、藁をばらばらにし、古木をあちらこちらに積み上げる。
また御下屋敷北の方には掘割ができる。
人夫数100人が集まってこれを掘っていた。
夥しきとはこのことである。