名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-02から1日間の記事一覧

この人に役立つんでしょうか

元禄7年9月29日。晴。文左衛門は神谷久左衛門の軍法の弟子となる。この日、誓詞をなす。

9月28日の天気です

元禄7年9月28日。雨が降る。辰7点(午前8時半)、一時的に雨が止む。未刻(午後1時)には雨が止み、申半刻(午後4時)から晴れる。

9月27日の天気です

元禄7年9月27日。昼前から曇る。未(午後1時)過ぎから雨が降り始め、1晩中降り続く。

怪し気な話だな

元禄7年9月26日。快晴。この日、御慶は帯を結ぶ。妊娠5か月。源右衛門の女房がやって来て眉をそり落とし、仮に帯を結ぶ。その後、取り上げ婆がやって来て、帯を加減して締め直す。(後略)この夜、雑談の初めに忠兵衛が話し始める。昔から生霊死霊の話…

あなたの行いなら仕方ないかも

元禄7年9月25日。朝は雨であったが、辰刻(午前7時)には止む。午(午前11時)から雲も消え、晴れ上がる。城代組加藤清左衛門・平岩所左衛門隠居を認められ、家督は相違なく倅に下される。文左衛門の親も7月前に隠居を願ったが、この度認められなか…

9月24日の天気です

元禄7年9月24日。夕暮れから雨が降り始め、1晩中降り続く。

こちらは修理まで時間がかかっている

元禄7年9月23日。文左衛門は矢場へ行き、御弓の衆が征矢(そや・戦闘用の矢)で遠的を射るのを見物する。もっとも根(矢じり)を用いていた。御城の先ごろ崩れた石垣を修理する。そのため西からの出入りはできなくなる。

あっという間に工事が始まっていたんだ

元禄7年9月22日。公は清水新道を御覧になりながら御深井から出かけられたので拝謁はせず。ことが急であったので御供の衆など多くは帰りに拝謁する。ひしくい1羽を鉄砲で捕られる。昼過ぎ、文左衛門は相原荻右衛門・岡本治郎右衛門と大殿様御下屋敷のあ…

7月でしたから2か月

元禄7年9月21日。天野儀平の閉門が許される。

実相院の追放はかわいそう

元禄7年9月20日。文左衛門は先日田村弥四郎の紹介で1分で買った投網を持って地蔵池(地蔵ヶ池、勝川)へ出かける。寒さのため魚は泥の中に潜んでおり、わずか10ばかりの鮠を捕って帰る。未半時(午後2時)、曇り、西風が強く吹く。通り雨のの後、晴…

9月19日の天気です

元禄7年9月19日。申刻(午後3時)前後、曇る。時々、雨が降る。つむじ風が紅葉を飛ばす。日が暮れて晴れる。

ありがたや、ありがたや

元禄7年9月18日。竜泉寺でこの日から開帳。

初期消火がやはり大事

元禄7年9月17日。公は御社を長上下で参る。午半時(午後0時)、出来町で火事がおきようとする。すぐに消し止める。

検見となると1日仕事

元禄7年9月16日。公は相応寺をお訪ねになる。文左衛門は寅の刻(午前3時)に野崎に検見に出かける。弾右衛門・源七・弾之右衛門・分内・甚右衛門・十右衛門・儀兵衛・善兵衛・又右衛門の面々は百姓のところで仕度(食事)をする。文左衛門は源右衛門・…

青空の元で仕事がしたい、たわけが

元禄7年9月15日。雨が止み曇る。申刻(午後3時)から晴れる。文左衛門は野崎へ検見に行くはずであったが、昨夜の雨のため延期する。

9月14日の天気です

元禄7年9月14日。1日中雨が降る。

9月13日の天気です

元禄7年9月13日。わずかに雨が降る。

やはり感染症は恐ろしい

元禄7年9月12日。この夜、関円右衛門の母が痢病(赤痢)で死ぬ。先日死んだ母の母も痢病(赤痢)で死んでいた。母はこれを看病し、帰ってきてから起き上がることができなくなっていた。大光寺にて弔う。

9月11日の天気です

元禄7年9月11日。薄曇。正午から雲が空を覆い、夕暮れまでの間少し雨が降る。

その手口を知りたい

元禄7年9月10日。与兵衛・理助・古渡村の手代元締め古渡村阿閉孫右衛門・鍛治屋町、袋町と本重町の間の近井儀右衛門が牢に入る。妻子については町から番をする。この手代2人はわずか13石に3人扶持ながら、日頃の生活は1000石取りでも及ばないも…

そりゃ、百姓にとっては疑いたくもなる

元禄7年9月10日。晴天。文左衛門は日の出過ぎから長良村へ検見に出かける。一向寺で仕度(食事)をする。(中略)総人数渡辺弾七・相原久兵衛・神谷弾之右衛門・加藤平左衛門・平岩五右衛門・都筑助六・大岡又右衛門・若林元右衛門・赤堀次郎兵衛・広瀬…

すいません、今後は拝謁と公の大殿様訪問は省略しますね

元禄7年9月9日。晴天。文左衛門は親と卯の刻(午前5時)に三左衛門殿へ礼に出かけて対面し、そこから2,3か所で務めは果たす。ただちに上下で御城へ拝謁に参上する。辰半刻(午前8時)過ぎ、公は大殿様をお訪ねになり、午之刻(午前11時)帰られる。

誰かの月命日ですかね

元禄7年9月8日。薄曇。辰2刻(午前7時半)、公は御霊屋を訪れる。御装束はめされず、拝謁の場所へ。夕暮れ、雲が濃くなる。

やはり建中寺は、何度も参詣なさる

元禄7年9月7日。晴天。文左衛門は拝謁に参上する。公は辰7点(午前8時半)に建中寺を御参詣し、巳2刻(午前9時半)に帰られる。

本当に中々御出ましにはなられない

元禄7年9月6日。暁に少し雨が降るが、その後曇る。文左衛門は拝謁に参上するが、御出ましはなし。

おー、お勤めですか

元禄7年9月5日。公は巳刻(午前9時)に御下屋敷からお帰りになる。大殿様をお訪ねの後、御城に入られる。文左衛門は拝謁に参上し、広井など方々で務めを果たす。未半時(午後2時)から曇る。夕暮れ後、少し雨が降る。

何とか葬儀もすみました

元禄7年9月4日。晴天。文左衛門は申半刻(午後4時)に十兵衛のところへ出かけると、坊主が沐浴しているとかで騒がしかった。文左衛門一人は手持無沙汰で、川澄只右衛門のところへと行く。日暮れ前に十兵のところへ出かける。そこから性高院へと出かける…

母親の死を悼んでの大騒動

元禄7年9月3日。辰半(午前8時)過ぎ、文左衛門は松井十兵のところへ出かける。奥方は既に息絶えようとしており、文左衛門はこのことを忠兵のところへ行き、このことを伝える。忠兵を連れて再び十兵のところへ出かける。巳半(午前10時)過ぎのことで…

仕事じゃないんですかね

元禄7年9月2日。巳刻(午前9時)まで空にはまだら雲。午(午前11時)から晴れて、西風が吹く。朝飯後、文左衛門、源右衛門・同子と丸山加左の知行所牛巻へ出かける。検見(年貢の調査)があり、加左・弾七・自入は先に来ていた。文左衛門は投網を打っ…

9月1日の天気です

元禄7年9月1日、晴天。夜、雨が降る。深夜には晴れる。