名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

そりゃ、百姓にとっては疑いたくもなる

元禄7年9月10日。
晴天。
文左衛門は日の出過ぎから長良村へ検見に出かける。
一向寺で仕度(食事)をする。
(中略)
総人数渡辺弾七・相原久兵衛・神谷弾之右衛門・加藤平左衛門・平岩五右衛門・都筑助六・大岡又右衛門・若林元右衛門・赤堀次郎兵衛・広瀬弥右衛門・加藤紋三郎。
田は晩田(収穫の遅い稲を植えた田)で1坪刈(1坪刈り取って税を決める)を行う。その稲株は54。
食事の後、百姓の中から誰言うではなく、棹が長いとの声があがる。
このため尺を出して測らせると少しも違っていなかった。
皆が激怒し、百姓を甚だ叱りつける。
弾七の詫びで最後には許す。
この日は1日中酔っぱらっている者が多かった。
特に十左・五右・助六はひどかった。
帰路古渡村西側の者を国奉行の足軽が召し捕りにやって来る。
妻子を先ず縛る。
亭主は裏へ走り出たところを追いかけて捕らえたと。
町人らも鳶口などを担ぎ、大騒動となる。
何者かはわからなかった。
文左衛門は戌2点(午後7時過ぎ)に帰る。
阿土義右衛門らであった。