名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

子が生まれるというのに死んではダメだ

元禄8年2月15日。
晴天。
御国御用人吉田六郎右衛門が自害する。先ごろ御叱りにあっていた。
先月15日より病気といって引き込んでいたと。
詳しくはわからず。
思うに当時六郎右衛門は権力を握る役人と仲が良くなかった。
ある人が言うには、先頃吉田加右衛門が隠居の願書を蛯江市之進を仲介にして差し出していた。
その文には役目を返上したいとだけあった。
市之進が言うには、「先御代ではこのように書いてもおかしくはなかったが、今はそういうわけにはいかない。知行家屋敷とも差し上げたいと書くように。」
加右衛門はわけがあるのでこのまま出してほしいと言うので、市之進は御老中にそのまま差し出すと、御老中も書付を市之進との言う通りにするようにと言って返された。
この時、六郎右に御老中は御城で加右の願の書付には少し思うところがあったので返したと言った。
しかし、六郎右は加右の甥で養子であったが、仲が良くないので隠居のことを知らせていなかった。
そのため六郎右は耄碌したなど聞いていない、気がかりだと加右のところへ行って委細を尋ねた。
そして願書を書き直して差し出した。
親子の間であれば相談することであるのに、御国御用人をする者に似つかわしくない行いであった。
もし不和が原因で知らせなかったのであれば六郎右は落ち度があるとこの如く。
これもまた詳しくはわからず。
公と加右衛門は従弟であった。
六郎右の内儀は妊娠中であった。