名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

傘を間違えられるのとは重みが違う

元禄7年7月2日。
薄曇りまたは晴れる。
巳半点(午前10時)、雨が少し降る。
この日も能が催される。
文左衛門も親と卯3点(午前6時半)に見物に出かける。
公が御出ましの間は扇を使うのを遠慮する。
人が群れ、汗が泉のごとく流れる。
暑さが御殿にまで及び、息もできなかった。
刀を置いたところは特に混乱していた。
終了後は込み合い、刀を踏んだり、柄を抜けたりと中々近寄ることもできなかった。
刀にはかねてから紙木の札を付け置いていた。
市川惣太夫は小普請の老人とのことであった。
この者は酒を飲みすぎ、退屈だから早く帰ると言って、犬山城番藤井庄兵衛弟同名平八の刀を差して帰ってしまった。
平八は自分の刀がなくなり山崎甚右衛門の刀を差して帰った。
甚右衛門はひとり後に残され、刀はないかと尋ねるが見つからなかった。
五十人目付にこのことが知れた。
すぐに御目付から御老中へ報告した。
先ずは残った刀を差して帰り、その後調べると。
このため甚右衛門は惣太夫の刀を差して帰った。
この夜、激しい風が吹き大雨となる。
戸障子が大きく揺れるも、暁には止む。