名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-11-16から1日間の記事一覧

満天の花火のようだったのか

元禄7年2月30日。快晴。亥の刻(午後9時)、大流星が砕け散り、万の星となる。

5代目文枝師匠の「軽業講釈」を思い出しました

元禄7年2月29日。薄曇り。彼岸に入り、真福寺で操りが行われる。演目は粟嶋由来記、太夫は笹尾平太夫。側芝居・軽業・物まね・居合抜も行われる。

2月27日の天気です

元禄7年2月27日。1日中雨が降るが、夜になって晴れる。

そういう本人も酒に酔っての醜態は数知れず

元禄7年2月25日。巳の半時(午前10時)から文左衛門は山上金三郎と連れ立ち、笠寺の天神を参詣する。桜の天神へも参詣する。途中真福寺で辻狂言を見る。通所では築山に登り、目を楽しませる。いろいろと寄り道しながら楽しむ。帰りに山崎の橋越えたあ…

2月24日の天気です

元禄7年2月24日。曇。正午からわずかに雨が降るが、半時(約1時間)で止む。

やっと隠居を決断

元禄7年2月23日。未刻(午後1時)より曇る。この日文左衛門の親が勤番ならびに御役御免の願書を出す。

2月21日の天気です

元禄7年2月21日。曇。正午前から少し細かい雨が降る。

2月18日の天気です

元禄7年2月18日。曇。巳の刻(午前9時)まで細かい雨が降る。

2月17日の天気です

元禄7年2月17日、曇。未刻(午後1時)から雨が降り始める。

良いおじさんなのに

元禄7年2月14日。曇。正午より雨が降り始め、夜更けに晴れる。昨年、児玉三太夫姉婿の大崎甚右衛門が改易になった時、姉は既に亡くなっており、腹には娘がいた。三太夫にとっては姪であった。この姪を自分のところへ引き取ったことを御目付へは知らせた…

確かに良いことはないなあ

元禄7年2月13日。内藤所右衛門の兄内藤宇平次が行方をくらます。舎弟小四郎は津守様(松平義行)に仕えており、江戸にいた。この後、行方知れずとはいえ御意によりもう一度召される。文左衛門が思うには、内藤兄弟はここ数年良いことがなかったと。皆が…

責任はとらないとな

元禄7年2月12日。この朝、内藤所右衛門が改易となる。御馬廻150石水野内蔵之助組であった。5ヶ国御構えとなる。

自由恋愛は難しい時代だ

元禄7年2月11日。内藤所右衛門の娘を成敗する。内藤所右衛門隣の堀道の隣に草履取り喜八という者が住んでいた。元は下条庄右衛門のところで奉公していた。所右衛門の娘がこの者を見て心動かされ、終には手紙を送った。すると喜八が堀を越え、関係を結ん…

夫婦のことは他人にはうかがい知れない

元禄7年2月8日。快晴。花池で母子を叩き殺した者が勢州阿濃津で捕らえられ、連れてこられて牢に入る。下津の者で怪力であった。母子はこの男の妻子であった。女房はとても肝がすわってた者で、暇の状が5、6通もあったと。この日、熱田団浮山(断夫山)…

2月7日の天気です

元禄7年2月7日。晴。風が吹く。

2月6日の天気です

元禄7年2月6日。晴。風が吹く。

2月5日の天気です

元禄7年2月5日。晴天。未半時(午後2時)過ぎから曇り、わずかに雨も降る。夜、晴れる。

そうは言いながら楽しんでる

元禄7年2月3日。夜、井上権左衛門のところで文左衛門は加藤平左衛門・神谷弾之右衛門・都筑分内と鳥目(銭)86文ずつ出し合い、雁1羽を料理し台所で食べる。浄瑠璃を歌い、余興などを催す。もし柿羽織が聞いたらどうなったであろう。

名探偵登場

元禄7年2月2日。快晴。この日、清州の近くの花池で女と子どもが叩き殺される。子どもはたくさん切りつけられていたが、母親の背にしがみついて死んでも離さなかったと。どこの国の者かはわからず。目明し庄三郎がやって来ていろいろと調べた。母親の懐か…

2月1日の天気です

元禄7年2月1日。曇。申上刻(午後3時)より細かい霰が少し降る。