名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

そういう本人も酒に酔っての醜態は数知れず

元禄7年2月25日。
巳の半時(午前10時)から文左衛門は山上金三郎と連れ立ち、笠寺の天神を参詣する。
桜の天神へも参詣する。
途中真福寺で辻狂言を見る。
通所では築山に登り、目を楽しませる。
いろいろと寄り道しながら楽しむ。
帰りに山崎の橋越えたあたりの茶店でひとりは30ばかり、もうひとりは40ばかりの出買(仲買人)らしきがふたり腰かけていた。
何やら口論を始めたようで、40ばかりの男がもうひとりを棚に押し付け、起き上がると大通りでえいやえいやと取っ組み合いを始めた。
その間にも40ばかりの男は拳を握ってもうひとりの男の頭を急に殴りつけた。
30ばかりの男は立派な体格であったが、酒に酔っているようで終には組み敷かれてしまった。
40ばかりの男は髻(もとどり)を掴んで顔を石に5、6回打ちつけた。
人が仲その場を収めようとするが、酔っぱらいはまた起き上がり、急いで棒を手に向かってきた。
40ばかりの男も棒を手に提げ、酔っぱらいのすねをなぎ払った。
また頭を打って倒し、自分は畚(ふご・もっこ)を担いで去って行った。
この酔っぱらいは頭からおびただしく血を流し、目の端、唇から鮮血が流れ、服までつたっていた。
先ず、家に入れ煙草を揉んで付けてやると、この男は血をおさえながら話し始めた。
ああ、酒に酔ったがためにあんなやせぽっちにやられてしまったのは残念でたまらない。
文左衛門はこれを見て酔っての悪事を嘆かわしく思った。

文左衛門、酒に酔っての醜態も数知れず。