名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-11-22から1日間の記事一覧

これだけでは何のことやら

元禄7年閏5月29日。文左衛門は拝謁に参上するが、御出ましはなし。この日寄合組500石以上は前々5門の足軽頭が勤めるように今後は勤めるように仰せ付けられる。

殿さまはこれにこだわっている

元禄7年閏5月28日。文左衛門は拝謁に参上する。4ツ(午前10時)前、公は大殿様を訪れ、しばらくして帰る。御目付堀次郎右衛門が御目見衆3人を呼んで言い渡す。御目見の際に頭を下げないように。

また釣りですか

元禄7年閏5月27日。土用に入り、暑くて湿気がある。文左衛門は拝謁に参上する。巳2刻(午前9時過ぎ)、公は大殿様を訪れ、帰られる。未5刻(午後2時)より文左衛門は粕谷市松と連れ立って味鋺へ鮠釣りに行く。夕暮れ前、稲妻が光る。時々遠くで雷の…

ストリーキングって知ってますか

元禄7年閏5月26日。晴天。未刻(午後1時)から文左衛門は相原政之右衛門・同荻右衛門と川名へ投網を打ちに行く。近頃、御目見衆奥平伊助、今の名は左衛門が真っ裸で下帯もつけずに土器野を徘徊する。見る者は驚く。巳の刻(午前9時)から翌未刻(午後…

先代の御機嫌伺も大切な職務

元禄7年閏5月25日。雨が降るが、辰刻(午前7時)に止む。文左衛門は拝謁に大腰掛に参上する。巳半時(午前10時)、公は御下屋敷大殿様を訪れる。すぐに御城へ帰られる。

まあ寒くはないだろうけど

元禄7年閏5月23日。最近、殿様は五十人組に水泳の稽古をするよう仰せ付けられる。病気の者は誓文状で理由を出すようにと。もっとも御供組小頭まで水の中を泳ぐ。

何度も言い渡すのですね

元禄7年閏5月23日。明け方から少し雨が降る。巳(午前9時)過ぎると晴れる。申半点(午後4時)より雨が降る。文左衛門は卯半点(午前6時)に御下屋敷へ参上する。辰半点(午前8時)、公は万松寺を参詣し、すぐに御下屋敷へ帰られる。御下屋敷におら…

当番がなくなったからさっそくお出かけですか

元禄7年閏5月22日。晴。未刻(午後1時)より文左衛門は忠四郎・市助と投網を持って金屋坊へ殺生(漁)に出かける。

10日交代のはずでしたね

元禄7年閏5月21日。晴天。この日から山口方面が拝謁に参上するはずであったが、昨日の言い渡しがあったので参上せず。

少しは楽になりますね

元禄7年閏5月20日。晴天。この日まで広井あたりの御目見衆は御下屋敷前へ毎日参上していた。この日、言渡しがあり、御下屋敷におられる間は、一切拝謁に参上しなくてよいと。

閏5月19日の天気です

元禄7年閏5月19日。昨夜からの疾風は卯半点(午前6時)まで間断なく吹き荒れる。その後止む。巳半点(午前10時)、晴れる。所々で家の塀が崩れ、木を吹き折る。

閏5月18日の天気です

元禄7年閏5月18日。雨が降る。夕暮れ前から黒い雲が乾(北西)の方角へ流れて行く。亥刻(午後9時)から風が舞い始め、雨が激しく降る。夜が更けるにしたがって風はますます激しくなり、風が激しい音を立て、木々が吠える。今日の昼過ぎ、公が御下屋敷…

閏5月17日の天気です

元禄7年閏5月17日。雨が降る。

話題は御目見のことばかり

元禄7年閏5月15日。夜明け前に大雨が降り、雷も鳴る。巳(午前9時)過ぎると晴れるが、未時(午後1時)より曇る。この日、御目見衆は参上せず。御目見衆のうち御目見衆目付が多く参上したと藤木伴内・新井与兵衛・相原喜藤次などが言っていたが、これ…

鮠って美味いのか

元禄7年閏5月14日。文左衛門は石川平四郎・同雲平、尾崎惣治郎と味鋺へ鮠釣りに出かける。申の刻(午後3時)には大田元右衛門が見物にやって来て一緒に帰る。

子どもだと侮ってはいけない

元禄7年閏5月13日。快晴。申の刻(午後3時)、水野内蔵助のところで石川大和守組荒川安左衛門召仕が4つ手(四つ手網)を持っていた。川向で13と14になる子ふたりが遊んでいたが、不意に小石を投げた。この石が4つ手の中に落ち、網が破れてしまっ…

何か情報を得ていたようだ

元禄7年閏5月12日。晴。夕暮れ前からしばらく細かい雨が降る。井野口六郎左衛門、茶の湯坊主と歩行の者は博奕の咎めを恐れ、この日密かに走り逃げる。(14日の夜)

本当、何しに行っているのか

元禄7年閏5月11日。朝、雨が降る。巳の刻(午前9時)に晴れる。この日も御目見衆土屋庄左のところへ文左衛門は出かける。ただし、先日から惣領家は出かけず。2男・3男・伯父兄弟に関わる者たちであった。

愛は盲目です

元禄7年閏5月10日。雨が降る。巳の刻(午前9時)には止む。近頃、大田金助が艶状(恋文)を半左衛門の子朝比奈弥七郎に送ったことははなはだぶしつけだと。

何の用事だったのかわからない

元禄7年閏5月9日。文左衛門は腫物がよくなったので、拝謁に参上するが、お出ましはなし。この日の7ツ(午後4時)から7ツ半(午後5時)の間に土屋庄左衛門宅へ来るようにとの手紙が御国御用人衆から岩間竹之丞のところへ来ていたので、文左衛門はこの…

こんな人のお家でも続いていたのか

元禄7年閏5月8日。晴。正午すぎると黒い雲が坤(南西)の方角から渦まきながら流れてくる。雷が鳴り、雨が降る。しばらくすると晴れて日の光がさす。山吹兵助の裏の柳の木に雷が落ちたと。山崎半九郎が熱病で死ぬ。倅2人も熱病を患う。半九郎曽祖父は誰…

殿が移動するれば、皆も移動する

元禄7年閏5月7日。曇。午の半時(午後0時)まで雨が降ったり止んだりする。卯の刻(午前5時)、公は定光寺を参詣する。文左衛門は腫物のためこの日も参上せず。申上刻(午後3時)に帰られる。御目見衆は大曽根口へ参上して御供をする。小幡原矢田河原…

閏5月6日の天気です

元禄7年閏5月6日。朝、曇る。辰半時(午前8時)から雨が降ったり止んだり。夜に入って雨が降る。

これって結構痛いんですよ

元禄7年閏5月5日。晴。文左衛門は唇の上に腫れものが出来たので、拝謁に参上せず。巳の刻(午前9時)、公は大殿様を訪ねる。午の刻(午前11時)に帰られる。

本当に細かいなあ

元禄7年閏5月4日。曇。昼前から少し雨が降るが、止む。申半点(午後4時)からまた降り始める。この日御目見衆の中から3人は虎の間へ来るようにとのことであったので、川崎甚右衛門・若尾政右衛門・松尾佐右衛門が参上すると、御国御用人が言い渡す。近…

鷹匠も大変です

元禄7年閏5月3日。朝、曇る。辰刻(午前7時)過ぎると晴れる。文左衛門は辰半時(午前8時)に拝謁に参上するが、御出でにはならなかったので昼家に帰る。8ツ(午後2時)前にまた参上するが御出でにならず。8ツ半(午後3時)に帰る。御鷹匠8人が二の…

毎日、会えもしないのに大変ですね

元禄7年閏5月2日。1日中雨が降る。辰半刻(午前8時)、文左衛門は拝謁に参上するが、お出ましにならず。巳の8点(午前9時前)に帰る。

細かい殿様だなあ

元禄7年閏5月1日。時々、わずかに曇る。申半時(午後4時)から夕暮れまでわずかに雨が降る。辰5刻(午前8時)、公は大殿様を訪ねる。しばらくして帰られる。その際に成田新五左衛門に仰せ付けられる。拝謁の者は頭を下げずに頭を高くして拝謁するよう…