名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

子どもだと侮ってはいけない

元禄7年閏5月13日。
快晴。
申の刻(午後3時)、水野内蔵助のところで石川大和守組荒川安左衛門召仕が4つ手(四つ手網)を持っていた。
川向で13と14になる子ふたりが遊んでいたが、不意に小石を投げた。
この石が4つ手の中に落ち、網が破れてしまった。
僕が叱りつけ、互いに罵り合いとなってしまった。
かつては御歩行で納屋に住む浪人の14になる子がこれを切ろうとした。
13になる子は脇差だけだったので、刀を取ってこようと走り出した。
この間に中間は網をしまい始めた。
14になる子は待ってはいられないとひとりで川向に向かい、お前のさっきの暴言は許しがたい。
もし自分に謝らないのであれば切ると言った。
中間は聞こうともせず、無視した。
この子は怒って、後ろから耳から肩にかけて切りつけた。
中間は慌てふためき、水の中へ倒れ落ちてしまった。
傷は少しであったが、浮かび上がれず死んでしまった。
この子は静かに刀を拭い去ると。
中間は落ちた後ももだえて、しばらく死ぬことはなかった。
辻番が近くにいたにもかかわらず助けなった。
調べの際に辻番が言うには、近くではあったが御蔵へ米を入れる車と人に隔てられていた上にやかましかったので気づかなかったと。
辻番ふたりともが難しかったと言った。
追放となる。
巾下あたりで博奕打ち5、6人が捕らえられる。
牢に入る。