2023-11-05から1日間の記事一覧
宝永2年9月28日。天外を刺し殺した召仕を探すため、国奉行からは足軽1人ずつ都合3人が越前から大坂まで、町奉行からは2人ずつ都合4人が伊勢から京までこの日出発する。小万物や曽右衛門に盗みが入ったため町代酒屋加平次・やぶ下仁右衛門ともに戸を…
宝永2年9月27日。昨日から明日まで大光寺の堂供養のため談義・論義が行われる。17日のはずであったが穏便のため延期される。
宝永2年9月26日。この日からまた大須で狂言が行われる。近江守同心山下弥三右衛門の控家が七間町にあり、その借屋に荒川主馬鑓持戸右衛門は女房を少し前から預け置いていた。この日追放となる。
宝永2年9月24日。紀州への上使松平宮内が熱田を通る。
宝永2年9月23日。新番頭成田六郎兵衛が乱心し、立ち退く。相応寺筋の住み、妻は沢井助左衛門の娘であった。昨日、脇差だけを差し、裸馬に乗って大曽根まで来ていた。また、かいもち(ぼたもちやそばがき)を3斗ばかりを届けさせ、訳もなく召仕や町人な…
宝永2年9月21日。この日、紀州主税様が紀州を発し、江戸へ向かう。25日、鳴海に泊まる。
宝永2年9月17日。夜、内蔵頭様逝去の廻文がある。この日から23日まで穏便にと。
宝永2年9月11日。昼頃、大船町町屋の軒が少し燃え上がる。すぐに消し止める。
宝永2年9月10日。大須の芝居で似せ金遣い3人を目明しが捕らえる。池鯉鮒(知立)から付けてきていた。本金27両と偽金60両を持っていた。その中の1人が首謀者で、初めは名古屋いげたや八左衛門小姓重三郎と称していた。元服して八左衛門の子と称し…
宝永2年9月9日。この日、文左衛門は召仕と3人で井戸を修復する。その間、桶6つで代用する。ことのほか手間がかかり、翌日も3人でようやく完了する。桶屋には明日までの都合5日間。大須の芝居の札銭は120貫。芝居で腰の刀を落として帰った者があり…
宝永2年9月8日。亥半(午後10時)、サコ(栄生)村で百姓家1軒が焼ける。
宝永2年9月7日。未(午後1時)頃から文左衛門は伝太・甚五右・甚介と勝川庚申あたりへ茸狩に出かける。(後略)夜、寄合松平九兵衛悉皆人(家中を仕切る人)の寝首を同僚の若党が切って逃げ去る。9日に熱田正覚寺へやって来て自害するので十念(波阿弥…
宝永2年9月6日。大須で彼岸の代わりに狂言が行われる。
宝永2年9月5日。文左衛門は治兵衛に頼み、小榑(材木)150挺を手配する。今朝、召仕を遣わし、車1台で取り寄せる。治兵衛のところまで白鳥から届け賃は300文。鈴木七兵衛を又従兄弟粕谷忠右衛門に預けることとなり、この夜、引き取る。
宝永2年9月4日。近頃、大竹又左衛門が17ヶ国追放となす。少し前に立ち退いたのを呼び戻し、この如く。大竹伝兵衛・水野一郎右衛門が閉門となる。これは又左衛門召仕が天外に害を与え、その詮議の際に若党が寺手形・請状がなかったため。以前伝兵衛・一…
宝永2年9月2日。半分に切った小さな檜が売払われことになり、くじが行われる。
宝永2年9月1日。夜、曇。戌(午後7時)過ぎから雨が降る。夜明け前に止み、晴れる。宝永2年9月2日。晴。宝永2年9月3日。晴。宝永2年9月5日。昼、わずかに雨が降る。未(午後1時)過ぎに止む。宝永2年9月6日。晴。宝永2年9月7日。晴。夕…