名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

身の保身のための殺人か

宝永2年9月7日。
未(午後1時)頃から文左衛門は伝太・甚五右・甚介と勝川庚申あたりへ茸狩に出かける。(後略)
夜、寄合松平九兵衛悉皆人(家中を仕切る人)の寝首を同僚の若党が切って逃げ去る。
9日に熱田正覚寺へやって来て自害するので十念(波阿弥陀仏を10度唱えること)を授けてくれと言う。
上人は仔細を聞いてとにかくなだめ、大小を取り上げ、奉行に知らせたと。
重罪であったので主人は命を助けず、寺で切腹させるようにと云々。
人はこれに感心する。
29日に正覚寺で斬罪となる。
住持は紀州家中側足軽頭の二男。
若党は九兵衛妾と関係を持ち、奪おうとしていた。
悉皆人はこれを訴えようとしてここに及ぶ。