2022-10-22から1日間の記事一覧
元禄6年2月30日。曇。昼過ぎから雨が降り始める。
元禄6年2月29日。曇。わずかに雨が降る。明け方前に地震がある。その後、雨が降る。
元禄6年2月28日。曇。わずかに雨が降る。
元禄6年2月27日。曇。この日に文左衛門が聞いたところでは、昨日大蔵様に知行5000石を進められる。朝比奈甚左衛門が御さそい(勧め)で御役御免となる。年は92でこの役に付いた時は82歳。甚左後役には田代五右衛門。五右後には多羅尾四郎兵衛。…
元禄6年2月26日。わずかに雨が降る。
元禄6年2月25日。晴れ渡る。未下刻(午後3)より雲が出始め、夜にはわずかに雨が降る。
元禄6年2月24日。巳の刻(午前9時)から雨が降り始める。
元禄6年2月23日。文左衛門は真福寺へ行き操りを見物する。
元禄6年2月22日。夜、加藤平左衛門が妻を離別する。今宵道具は返す。平左衛門は客人の作(さく)と通じ、新婦をはなはだ粗末に扱うと。この作は親平左衛門が使っていた女で年上で容貌も良くなかった。金子は2年以内に返すはずであった。世間では大笑い…
元禄6年2月22日。文左衛門は晦哲のところへ出かけ、すぐに興津安右と連れ立って真福寺へ行き、踊り操りを見物する。
元禄6年2月21日。未の刻(午後1時)になろうとする頃、真福寺で喧嘩だと騒ぎがあると云々。町人1人が木戸番をからかい、終には縛られて連れて行かれる。また、伊勢町の辻では猿若を見ているうちに我を忘れた者が脇差を盗まれる。ただし、鞘は盗まれず。
元禄6年2月20日。文左衛門は真福寺へ出かけ、踊り操りを見物する。面白さが頭から離れず。
元禄6年2月19日。明け方から雨が降る。
元禄6年2月18日。彼岸に入り晴天。文左衛門は真福寺へ出かける。操り演目は幼曽我、伊豆日記。太夫越川権太夫。札銭は16文。三味線権九郎。間の狂言は牛若千人切に大森彦七物語。伽羅踊り。(中略)見世物芝居はべら坊三六。年は26で身長1尺3寸(…
元禄6年2月12日。曇。未刻(午後1時)から雨が降り始める。
元禄6年2月10日。卯の刻(午前5時)、文左衛門は岡本治部右衛門・三宅九郎三郎・相原萩右衛門と連れ立って、平子へ鹿狩り見物に出かける。平子までは3里(1里は約4キロ)で、大森寺の東のあたりであった。弓や鉄砲はなく、百姓や足軽が騒いで猪2頭…
元禄6年2月9日。伏見町の下で番桶の上に2歳ぐらいの幼児の首が置いてある。
元禄6年2月7日。辰の刻(午前7時)雨が止み、薄曇りとなる。
元禄6年2月6日。巳の刻(午前9時)より雨が降る。
元禄6年2月3日。晴。辰半(午前8時)、少し雪が降る。
元禄6年2月2日。申の刻(午後3時)から雨が降り始める。夜になって止む。
元禄6年2月1日。文左衛門は沢井三左・同与三右のところへ祝儀に出かける。この日、佐藤庄右衛門が奥御番を仰せ付けられる。御弓衆から水野弥左衛門、御書院番から近藤九兵衛が呼び出され、15人扶持を下される。親九兵衛は1000石取であったが、源敬…