名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

なかなか大掛かりな興行

元禄6年2月18日。
彼岸に入り晴天。
文左衛門は真福寺へ出かける。
操り演目は幼曽我、伊豆日記。
太夫越川権太夫
札銭は16文。
三味線権九郎。
間の狂言は牛若千人切に大森彦七物語。
伽羅踊り。
(中略)
見世物芝居はべら坊三六。
年は26で身長1尺3寸(1尺は約30センチ、1寸は約3センチ)。
かなり太っていて青ざめた顔。
泣いたような口で上手くしゃべれず、愚鈍というわけでもなく、少し踊っては六方(歌舞伎の歩き方)をする。
文左衛門たちは必死で笑いをこらえる。
三六の弟で5つなる玉川菊太郎は軽業をする。
また、摂州平野から出たという鬼の曝頭(しゃれこうべ)を見る。
古い根が曲がりくねったものであった。
根本は2本で、先で1本になった鹿の角。
これはお産が楽になると言われていたので女たちが弄ぶ。
札銭は10文。
また、芝居太夫隼龍之助、軽業色々、夢のかけ橋、鴃鴒・座禅・車・つりかね・隼落としというものもあり。
1丈5尺(1丈は約3メートル、1尺は約30センチ)ほどの竹を立て、上に板をのせてそこから2丈ほどの縄を1本下ろしてあった。
龍之助は革の腹当てをし、両手に旗を持ってうつむきになり縄の上に身体を落とす。
縄はたわまず、身体も乱れず。
その身軽さには目を奪われる。
兼子吉兵衛という者は京・大坂・江戸の役者の声音を真似る。
大山義右衛門の最後に義右衛門名役者の復活。
また大坂踊り、松本吉三道・荒木与平次が歌う。
(中略)
皆、三色(3種)を見物する。