名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-03-10から1日間の記事一覧

何やらコネがすごそうだ

元禄10年6月9日。昨年売女を調べた際、追放となったゾメキ善七という者が戻って来て、納屋うら町に住んでいた。それを御国奉行の足軽が捕えた。御内証(御内儀)の周りの者がこれを見て、この者は御内証の用があって呼び寄せた者である。そのまま住まわ…

強制的に隠居させられたな

元禄10年6月3日。五味所左衛門甥の山本半之右衛門が隠居となる。方々で金を借り、それを浪費したため。家督はその子に相違なく下される。近頃、長嶋町大下あたりに化け物が出るとかで、毎夜人が見回りに出る。柿羽織も見回りに出る。

責任転嫁じゃないか

元禄10年5月19日。惣町代伝左衛門が叱られる。これは18日に馬頭を出した方がよいと町に触れ回ったため。そのため例年より馬が多かった。町奉行の調べがあったが、伝左衛門の方に分があったので叱りで済ませる。

日本では昔から自殺が多い

元禄10年6月。近頃、高倉の森で浄土の坊主が首をくくって死ぬ。

どうして娘はそんなことを言ったのか

元禄10年6月17日。伝馬町いせ町角粉屋新左衛門三男新六を同町筋七軒町角より2・3軒目の紺屋次左衛門の子新平が恋焦がれていた。このため上畑の橋向かいで出見世(屋台)商いをしている新六の兄のところへ新六をかくまった。新六がこの日8つばかりの…

伊織を仕留めたのは誰

元禄10年閏2月4日。山王神主日吉大膳を大番阿部志摩守組福嶋伊織が切り殺した。その脇から伊織を仕留める。

怪し気な集団だな

元禄10年閏2月。上旬13日、横井十郎左衛門の家へ石川伊豫・犬山八郎兵衛・下野村久助・あじま源十郎・三九郎を呼び寄せ、隼人正寺社奉行矢口五兵衛・筑後守寺社奉行小串数右衛門立ち合いで調べの上、御叱りで済ませる。何れも陰陽師であった。

平左衛門、臭かっただろう

元禄10年2月21日。夜、くらがり森のあたりで魚住慶右衛門と馬淵甚左衛門・角田平左衛門が喧嘩をする。馬淵は即座に切り殺され、角田は傷を負う。角田は筑後守作事奉行平左衛門父伊兵衛のところまで駕籠で戻り、そこから立ち退く。平左衛門は逃げる際に…

子どもを道連れはむごすぎる

元禄10年2月16日。運上奉行の手代鈴木六郎右衛門が女房と子どもを刺し殺し、自殺する。

娘の恥はさらしたくない親心

元禄10年2月。中旬、高橋伊右衛門父の竹腰信濃守家老高橋九兵衛の娘が自殺する。召仕の男を縛っておいたところ、縄を解いて逃げ出したので、信濃守取次役浅田新五右衛門が松坂へ行って探し出し連れ帰る。九兵衛が外出しているうちに九兵衛の妻が縄を解い…

池の鯉を盗んだ盗人を殺したあの人か

元禄10年2月5日。石川大和守宅で田辺八左衛門と鈴木九郎左衛門へ成瀬兵部・田辺道有のお咎め御免を申し渡す。

これも自殺か他殺か

元禄10年1月29日。堀川中橋辺りに首に数珠をかけた女の死体が浮かぶ。すぐにそこで引き上げ、置いておくと云々。

正月早々暴れるなあ

元禄10年1月15日。印地打ち(石合戦)が行われる。名古屋町で事件を起こしたものが9人ある。その内、大津町桧物屋の次男は熱田の者を切り殺し、自分も家へ帰って死ぬ。

大公(光友)さんって結構浪費家

元禄10年12月28日。今月、南寺町の下梅香院が本堂の建立を言いつけられる。大公より金100両が下される。

小遣い稼ぎだ

元禄10年12月23日。曇。触状が来る。覚。諸士の中には屋敷で鳥を獲って殺し、それを商人へ売り払っている者がいると聞き及んでいる。よろしいことではないので、今後このような者がると耳に入った場合は罪を言い渡されるので堅く慎むよう肝に銘じるこ…

仲間で融通しあえば運賃も安くなる

元禄10年12月14日。仲間が口米を運び込み、善兵・又右がこれを検査する。文左衛門は久兵と同じ車で遣わす。値段は1俵につき18文。曇。昼過ぎから晴れる。夜、わずかに雪が降る。

事故か病気か

元禄10年12月5日。近頃、笠寺で加賀の者が落馬して死んでしまう。

11月28日の天気です

元禄10年11月28日。寒さが厳しい。

馬子の商売があがったりだったのか

元禄10年11月22日。晴。文左衛門の住む町の車借し(車を貸して金をとる商売)について法度(禁制)が出る。馬子から願い出たため。

これは悲惨だ

元禄10年11月21日。曇。夜、山崎甚右衛門百姓で野崎村の70余りの者が年貢が1粒もないので自害する。家の外に出て裸になり、薦の上に座り、剃刀で首の周りを切って死んでしまう。

11月20日の天気です

元禄10年11月20日。曇。

人騒がせだな

元禄10年11月16日。火事だと騒ぎがある。嘘であった。

11月5日の天気です

元禄10年11月5日。晴。