名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-08-05から1日間の記事一覧

そうか没落したのか

元禄16年7月28日。鉄砲張松屋半左衛門が生活がどうしようもなくなったと書き置き、逐電する。父半九郎も1昨年貧しさから自殺しようとして失敗し、今も預けられたいた。半九郎その時30石5人扶持でさえ貧しかったのに、今は10石減ってますます逼迫…

どんな言い渡しだったのか

元禄16年7月26日。近頃、尾州の百姓百数十人が佐田弾介のところで言い渡しを聞いて大笑いする。鬨の声をドウとあげる。すぐに頭取(首謀者)5人が牢に入る。

証拠はちゃんと始末しないと

元禄16年7月23日。夜、小沢水右衛門僕作介が近所に盗みに入る。肩から後ろを2度切られて逃げ帰り、紙帳を吊るして病気といって部屋で伏せる。翌日、留守居の家老が門に血がこぼれているのを見つけて怪しみ、詮議して訴える。8月4日に町奉行へ僕を渡…

今でも落札してからどうにもいかなくなることがあります

元禄16年7月22日。評定所が始まる。先日の7人の預けられた輩の詮議がある。これは1度で済ます。津田九郎兵・平岩七太夫・山崎源兵衛・安藤平左衛門を廻って尋ねる。いずれもすぐに詮議し、決着する。九郎兵は刀を差さず、すぐ近くへ呼び寄せて九郎に…

助けにはなります

元禄16年7月21日。山村庄右衛門が改易、3か国出入り禁止となる。評定所で申し渡しがあり、目付蘿木丹左衛門、供番石黒善九郎、国奉行星野七右衛門が立ち合う。国奉行3人で15両の金子を庄右衛門に遣わす。代官もそれぞれ少しずつ金を出す。

文左衛門は行ったのか

元禄16年7月14日。この日から大須で十三郎の狂言が行われる。ほかに見世物もある。

おおげさに書かなくても

元禄16年7月18日。預かる者がいるので文左衛門は六郎左へ見廻りに出かける。都合4度ばかり出かける。

いろんなことがあった1日、しかし中間たちがかわいそう

元禄16年7月15日。夕暮れ前、石川理左衛門・瀬左衛門を連れて石川平四郎を河村九郎右へ連れて行く。用があるので沢井刑部へ参られるようにと云々。刑部へ行くと刑部が現れ尋ねられる。私に預けられたので、不自由ではあるけどしばらく私宅にいてくださ…

この僕は絶対根は良い人

元禄16年7月14日。蛯江角右衛門は閉門を赦され、元の職に復する。横井小太夫が行って板を取る。申刻(午後3時)、未半(午後2時)とも、杉立権右衛門は僕に使いに遣わすと言いつけたが、伏せて出かけなかったので激しく叱りつけると肝をつぶして飛び…

料理もふるまうから頼母子も大変だ

元禄16年7月10日。文左衛門は昼から頼母子会で小右へ出かける。諏訪部源右衛門・中村覚左衛門・三浦太次兵衛・宮田伝左衛門・小菅半右衛門。政右の贅を尽くした料理であった。

地震以外はひょっとして江戸での出来事か

元禄16年7月9日。寅刻(午前3時)、地震がある。供番小尾伝左衛門が自殺する。堀田半七の婿でとても貧乏していた。座敷に蚊帳を吊らせ、昨夜から伏せっていた。今朝のこと。広敷目付熊木太左衛門が休息に来ていたが、この日立ち退く。用の書付などは箱…

隼人正ってお方はたいした人物じゃない。

元禄16年7月4日。隼人正が少し前から瘧(熱病)にかかり、この日病状が進み、2度気を失う。未(午後1時)過ぎ、本多与兵衛・嶋松右衛門が側にいるのを見られる。暇乞いに剣術を見ることを所望され、見物する。近頃、福嶋八郎右衛門が早駆けで尾張にや…

こちらは現物支給

元禄16年7月3日。6分の米の受け取りに書き替えを持たせて遣わす。1石2斗8升、このうち蔵出しのために少し引かれる。80文で車を雇って運ぶ

手形交換って面倒では

元禄16年7月1日。文左衛門は役料の米手形を蔵へ持たせ遣わし、4分の売却金1両と56匁を受け取る。ただし1両の半銀(銀貨)は書き替えが来たので平田(両替商)へ持たせ遣わし、小粒(1分金)と銭で受け取る。

元禄16年7月の天気です

元禄16年7月2日。暑い。元禄16年7月3日。暑い。昼過ぎから雨が降り、未半(午後2時)に止む。夜は晴れて涼しくなる。元禄16年7月9日。薄曇。元禄16年7月10日。曇。辰半(午前8時)過ぎからわずかに雨が降る。その後、止む。元禄16年7…