宝永2年6月7日、
桶屋町、桑名町3丁目の蒔絵師岩井屋治右衛門の子長十郎11歳が辰刻(午前7時)過ぎ近所の子たちと5人で伊勢へぬけ詣し、9日の昼未刻(午後1時)過ぎに長十郎1人だけが嬉々として帰ってくる。
父母は途中から帰って来たのではと思った。
長十郎は桑名とかで仲間にはぐれて途方にくれていると、僧がやって来て、馬にのせて参宮させてくれ、岩戸まで拝んできたと言った。
近所の者が寄り集まって帰りはどうしたのかと尋ねると、侍衆に馬に乗せてもらったと言ったと云々。
お祓(厄払いの札)は何故買わなかったのかと尋ねると、夜だったので買うことができなかったと云々。
母が帷子を着替えさせるため裸にすると、懐中から小祓箱が落ちた。
皆はこれを聞いて感激し涙した。
9日の夜、お祓いを拝みに老若男女が走り集まり、まるで火事のようであった。
町奉行同心が怪しみ、歩行の者を聞きに遣わした。
翌10日、町奉行から同心に詮議させるが、怪しいところはなかった。
神異(神の不思議な力)だと奉行も敬う。
はなはだ人が集まるのでお祓いを当分外で拝ませるようにと申したと。
町奉行同心青木小左衛門から文左衛門は直接聞いた話。
夜、巾下寺町七兵衛の裏の田んぼ道で中間甚六が3ヶ所切られ、水に落ちて死んでいた。
中間仲間2人が立ち退く。
男色のことと。