名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

報告忘れは致命傷

元禄16年3月22日(ママ)。
午刻(午前11時時)、清水町酒屋太郎右衛門裏の灰屋から火が燃え上がろうとするのをすぐに消し止める。
朝、長者町2町目伽羅油屋(鬢付け油)勘左衛門を町奉行が博奕の容疑で召し捕らえる。
椽の下に隠れていたのを縛る。
近頃、近江守扶持人15石2人扶持大工鈴木十郎兵衛には惣領五右衛門、次男十右衛門がいた。
この十右衛門はここに居合わせ、問い詰められ謝りながら伽羅油の作り方を習い来ており、朝の支度をしていたと言ったと云々。
これもきっと兄に頼まれてのことと。
長嶋町やその他で町人のばくち打ちが多く捕まる。
3日、千村数馬が馬にて伊予守妻に行き会う。
七間町筋で馬が後ずさりして乗物に当たってしまう。
数馬は馬から下り、供の者に迷惑をかけてしまったが、畜生のことなので許してほしいと言う。
乗物の中から家老に少しも怪我はないのでお気遣いなるな、穏便に済ませましょうと伝えられる。
それでも数馬は落ち着かず、伊予守玄関に出向き、この事を謝る。
伊予守はこれを聞いて、妻に何か隠し事はないかと言った。
妻が穏便に済ませようと言っていたのでこの如くと云々。
それはそうである。
しかしながら供の者が報告すべきことであると家老を調べるうちに家老は逐電してしまう。