名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

狂言はダメと言われながら狂言の記事を書いている

元禄8年1月20日。
忠兵のところから帰り、文左衛門は言い渡しがあると相原九兵衛のところへ出かけてこれを聞く。
この度は留永兵右衛門が言いったこと。
簡略(倹約)の間は、先ごろに言い渡しの通り勤めをしないように。
沢井三左衛門隠居所へも行かなくてよい。
また若宮などで狂言・つくし(歌舞伎)などを行われた際は、自分はもちろん家の女・童まで一切遣わさないように。
この日から若宮で狂言、座元は和泉十三郎、あやつり太夫は津川新太夫
竹本義太夫のワキとのことだが嘘。
平岩勘左衛門を丸岡の輩が受け取り、板乗物に乗せて江戸へと下る。
飛騨守預かりとなり、勘左衛門は江戸へ到着後公儀により揚り座敷(身分の高い罪人を収容する施設)に入れられう。