名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

生臭坊主とはこのこと、嫉妬か

元禄16年3月26日。
寺社奉行の所へ常明寺を呼びつけ、大光寺の後任住職がなかなか決まらないことで檀家衆にいろいろ言って邪魔をするのは甚だ不届きであると言いつける。
黒犬に衣を着せたようで大悪人の僧だと散々悪口を言い、叱りつける。
常明寺は面目を失くす。
三沢左門の京に住む弟を後任の住職にしようと稲葉太左衛門・柴山甚五右衛門が画策すると、常明寺は表ではこれを支持するも裏では自分が後任になろうと様々な策略をめぐらす。
檀家衆は全員小倉の日詔を招こうとする。
終には日詔が後任となる。
寺社奉行宅へ今朝卯刻(午前5時)過ぎに常明寺を呼びつけ永らく待たせたが、大光寺の僧は巳刻(午前9時)に呼んで後任のことなどを申し渡す。
その後寺社奉行両人は大光寺へ行く。
しばらくして常明寺は隠居する。
近頃、磯貝伝太夫内儀が法事が大光寺で行われるので、湯本貞右母親から住持出てもらうように言われる。
常明寺はこれを聞きつけ、わしが大光寺の後見なのでわしに頼むようにと言う。
全てこのような悪人だと。