名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

酒でも入っていたのだろうな

元禄11年7月16日。
熱田の海で智法院様(喜知姫)の水施餓鬼が行われる。
子刻(午後11時)、鉄炮塚町で町人が踊っていると、諸士の中間が主人の乳母に子を抱かせ、踊りを押し分けた。
踊っていた者はこれに怒る。
その時、見物していた飯田町桶屋甚蔵が仲裁に入る。
その間に中間は逃げ去り、甚蔵は踏みつけられて帰るが、近所の者は我慢できなかった。
7、8人が鳶口を持ち、甚蔵を先頭に出かけていく。
踏んだ張本人鉄炮塚の小間物屋半七は枝(橦)木町と飯田町の間の紙屋にいたので、無理やり押し入り、半七に傷を負わす。
他の者も叩かれる。
近隣の者も出てきて乱闘となる。
翌日町奉行の同心がやって来て調べを行い、まず両人を町へ御預けとなる。
半七は長屋六左衛門の若党の子であった。