名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-01-14から1日間の記事一覧

今の少年法みたいなものだな

宝永4年5月26日。生姫様は起で昼休み、清須に泊まられ、木曽路を通って来月6日に江戸へ到着の予定である。清須の宿泊で江戸への供の輩と京都へ迎えに行った者が交代する。厩中間喜右衛門が町中引き廻して土器野で火あぶりとなる。13歳の男の子は獄門…

失敗を隠したのか

宝永4年5月23日。夕飯後、勝蔵が文左衛門のところにやって来る。酒などを出して、それから味鏡(鋺)へ釣りに出かける。酒などを飲んで夕暮れに帰る。末森の塩硝蔵の工事で広井村の町人足が土を掘っていて穴が崩れ、睾丸(キン)を強くうつと。掘り出し…

日ごろの行いがすべて

宝永4年5月22日。近頃、中品野村常源寺と百姓円右衛門で諍いがある。円右衛門の小舅彦右衛門という者が円右衛門と問題があって常願寺へ立ち退く。そこから他へと出奔する。円右衛門は怒って常願寺に彦右衛門の居場所を尋ねたが知らせなかったので、円右…

通りかかったらすぐに静かにしないと

宝永4年5月18日。大樹の茶壷が通る。奈良屋七左衛門弟、花井勘右衛門子らの町人が船で出かけた。尺八や三管を吹いていると目付上野小左衛門が通りかかり、船中での鳴物・音曲は禁止だとすぐに咎めた。日置から南の堀川でのこと。

60過ぎて犬にかまれたからといって泣かなくても

宝永4年5月17日。今朝、嶋松右衛門の朝稽古に高橋只右衛門の子が連れてきた60ばかりの僕が腰掛で眠っていたところ、犬がやって来てあくと(かかと)を噛み切る。血がたくさん流れ出て僕は泣き出すと云々。

勝手な行動はいけません

宝永4年5月13日。梅昌院様用達小久保増左衛門が小普請となる。8石を召し上げられ10石になる。泰心院様形見分けの紋付を着用したいと2,3年前に目付に話をしていたが、表向きの拝領ではないためか目付からの返事がないのに紋付を着て歩いていたため。

また男女関係のもつれによる殺人

宝永4年5月8日。申半(午後4時)、清水のはずれ大日の森で生駒因幡召仕2人が喧嘩をして2人とも死んでしまう。1人は歩行の者広田小藤次24歳、1人は中小姓天野丹右衛門27歳。小藤次は横はち(側頭)を2ヶ所、肩先から斜めに切り倒される。倒れざ…

僧だからといって善人ばかりとは限らない

宝永4年5月3日。全順院・養寿院が12ヶ国追放となる。

やはり熱田は重要な宿場だな

宝永4年5月3日。日光門主が熱田に泊まられる。上洛のため。

人手不足なら仕方ないのでは

宝永4年5月2日。3月の手紙に幸福(ママ)が2,3日前に出雲からやって来る。死者は川村権右衛門で、類焼のため助力を請う。この日文左衛門は2朱1つを遣わす。先月の祭礼の榊つり(榊持ち?)に乞食を雇った町が本重町にあった。詮議が行われ、雇った…

宝永4年5月1日。晴。宝永4年5月5日。薄曇。時々、晴れる。宝永4年5月6日。夕暮れから雨が降る。1晩中雨が降り続く。巽(南東)の風が吹く。宝永4年5月7日。1日中雨が降り、ジメジメする。少し巽(南東)の風が吹く。深夜に雨が止む。宝永4年…