名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

また男女関係のもつれによる殺人

宝永4年5月8日。
申半(午後4時)、清水のはずれ大日の森で生駒因幡召仕2人が喧嘩をして2人とも死んでしまう。
1人は歩行の者広田小藤次24歳、1人は中小姓天野丹右衛門27歳。
小藤次は横はち(側頭)を2ヶ所、肩先から斜めに切り倒される。
倒れざまに丹右衛門のヒ腹(横腹)を突いたと。
この他に肩先から斜めに切ったと。
丹右衛門は20間(1間は約1,8メートル)ばかり逃げ去ろうとしたようで堀の中へ倒れて死んでいた。
2人とも深手の傷であった。
奉公していた小藤次の女房と丹右衛門が密通したと云々。
丹右衛門は山城守祐筆小林善介の甥であった。