名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-29から1日間の記事一覧

今の詐欺の原型は江戸時代

宝永1年12月25日。津守(松平義行)様江戸屋敷に盗賊奉行の支配の者だと1人がやって来て、水桶を調べ、明日中に玄関館前に大桶を2つ置くようにと言った。もし用意ができないようであればこちらで用意して間に合わせると。桶代は1つ10両と。津侯は…

これも人生

宝永1年9月。近頃、神尾只右衛門は七人扶持となり、亀尾天神前の屋敷を召し上げられて犬山へと行き、屋敷を用意されて門外にはみだりに出て来ないと。只右衛門は村井弥一左衛門の弟で前布護(隼人)成瀬良忠にとても寵愛を受け、知行400石に足軽20人…

めでたいのだからいいんじゃない

宝永1年12月28日。廻文がある。手紙をもって申し入れる。近年婚礼を済ませた者のところに水振舞(水や酒をただで振る舞うこと)の祝儀と近所の者が集まり、騒いでいると聞こえてきている。この後このようなことがある者はきつく吟味すると言い渡された…

金が絡むと人間我を失う

宝永1年12月27日。万五郎様足軽東源内・伊藤与次右衛門と雇い煮方の男木曽右衛門の3人が頼母子のことで台所で口論するうち、外の台所の前で木曽右衛門が脇差を抜き、源内の左の肩を斜めに切りつける。源内も抜き、木曽右衛門の指1本を切り落とす。そ…

人間関係は難しい

宝永1年12月15日。用人松井与兵衛が役を解かれる。織田宮内とあわず、勧められて。

文左衛門は本寿院様が嫌いでいつも辛辣

宝永1年12月9日。江戸で小姓間嶋主殿・浅田源太の2人が役に適さずと馬廻を仰せ付けられる。12になる小姓2人は岩之丞様のところから公の小姓となっていた。女中衆の扱いが良くないと呼び出されていたが出て行かなかった。このため。本寿院様からの使…

年末は酔っぱらいも多い

宝永1年12月14日。仲間の口米を差し上げる。義兵と五右が検査する。未半(午後2時)、赤堀次郎兵衛の門外に呉服町町屋に住む手代で何役の手代かはわからない50ばかりの男が大小を差して泥酔し、頭から血を流し倒れていた。刀も鞘などが砕け散ってい…

これで年末を越せるってことですかね

宝永1年12月13日。文左衛門は役料を取りに蔵へ遣わす。受け取ってから源助のところへ預ける。翌日、口米文左衛門と源右衛門分を渡す。この夜、巾下今宿押の者の屋敷2軒が焼失する。

これも大失態

宝永1年12月12日。今月2日、酒田庄介・広沢三郎九郎・鈴木伴右衛門は七ツ寺へ出かけた。伴右衛門召仕が密かに酒を飲み酔っぱらってしまう。このため田を通って帰る途中で関四郎左衛門の門外で大騒ぎした。このため四郎左衛門は中に入れて脇差を取り上…

確かに恥ずかしい

宝永1年12月10日。法事が終わる。行赦が2人ある。建中寺には銀20枚。同隠居には時服(下賜の服)が2つ。四ヶ寺には3枚ずつ、ただし高岳院は病気のため出ていなかった。法事につき、この春江戸で暇を出した祐筆部屋坊主順設ら3人は帰参を仰せ付け…

文左衛門が行かない場合もあるんだ

宝永1年12月9日。山中一郎左衛門の5両頼母子が行われる。文左衛門は出かけず、瀬左が得る。

霊仙院は綱誠の母親

宝永1年12月8日。この日から建中寺で霊仙院様の7回忌の法事が行われる。読経200部、僧は82人、下行(下賜)。(後略)

でも復帰はできなかったんだろうな

宝永1年12月6日。手紙をもって申し入れる。霊仙院様の法事が来る8日から10日まで行われると仰せつけられた。この法事の間は音曲、鳴物は中止して静かにし、特に火の元には注意し、下々にいたるまで諸事慎むようにと仰せつけられたと老中から申し渡さ…

ついに文左衛門GET、行かない方が運が向くのかも

宝永1年12月5日。源太左で20両の頼母子が行われ、文左衛門と談之右が得る。文左衛門はくじには出かけず、瀬左に頼む。夕飯後、河原甚助へ出かけ、酒を飲む。そこから直ちに源太左へ行き、金を請け取る。

12月に入っても頼母子は続く

宝永1年12月3日。辰(午前7時)過ぎ、文左衛門は彦兵殿へ祝いに出かける。そこから源太左へ頼母子に出かける。朝比奈宇右衛門が得る。

宝永1年12月の天気です

宝永1年12月6日。明け方から雪が降る。未(午後1時)頃から少し霙が降る。申(午後3時)過ぎに止む。夜は晴れる。積雪は3寸(1寸は約3センチ)ほど。宝永1年12月11日。明け方から雪が降る。巳半(午前10時)に止む。時に霙まじりの雨が降り…