宝永1年12月9日。
江戸で小姓間嶋主殿・浅田源太の2人が役に適さずと馬廻を仰せ付けられる。
12になる小姓2人は岩之丞様のところから公の小姓となっていた。
女中衆の扱いが良くないと呼び出されていたが出て行かなかった。
このため。
本寿院様からの使いの女中が間嶋、浅田にこれについて詮議するよう言われる。
2人はことの始終を述べるが、この通りには申し上げるのは難しいのではと間嶋と浅田は思案する。
しかし、腹を切ってでも正直に申し上げるべきと言うのを女中は聞いてその通りに報告する。
本寿院様は大いに怒って4人を呼び寄せ、お前たちには遠慮がないと言って大いに叱りつける。
幼少の2人は逃げ去ったので罪には問われず。
本寿院様は胸がつまるとのことで退出されるが、間嶋、浅田の2人は退出せず。
小畑五太夫に向かってまだ言い足りないので話そうとするところへ本寿院様が戻られ、まだそんなところにいて申すことがあるのかと叱られたので2人とも退く。
このことが公の耳に入り、この如く。
荒川宗左衛門もこのことで引きこもり、後日役のことを願い出る。