名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-19から1日間の記事一覧

全然おかしくないでしょう、怪我をさせられたんですよ

宝永1年9月28日。少し前、江戸向屋敷(藩主や家族の住む屋敷)番所の足軽頭加藤岡右衛門、平田藩右衛門4人が公儀の牢に入る。酔っ払いがやって来て番人に傷を負わせたので、この者たちが酔っぱらいを叩き倒したところ、酔っ払いを見たらいたわるべきで…

それだけ公家も金に困っていたということ

宝永1年9月27日。吉見刑部は7月26日に上京したが、吉田に仲介を頼んだ官位が一向に得られず、京に長く留まることとなっていた。吉田の言うとおりにして官位を求めると、費用がかさんでしまっていた。仲介を通さず直に申し上げようとすると、伝奏清閑…

どうして牢に入れられた

宝永1年9月26日。近頃、春日井郡古喜(小木)村で勧進相撲取4、5人が牢に入る。百姓であった。近頃、米が1両で7斗23升。(二三は実数ではなく多くも少なくもなく事足りという時に使うのですが)

この人、何をしでかしたんでしたっけ

宝永1年9月23日。近頃、飴屋又七が所払いとなる。

2人におこぼれはないのですか

宝永1年9月18日。小菅一郎左衛門が前にある堀の芦を中市場からやってきた町人足吉兵衛と刈っていると、泥の中から鰐口(鉦)1つを拾い出す。指し渡し(直径)は8寸(1寸は約3センチ)ほどある。その銘には、奉寄進可児郡大原村 思うに美濃。高社御神…

7月に牢に入った女たちですかね

宝永1年9月14日。申(午後3時)頃、星野七右衛門宅で代官奥田彦九郎は役を解かれ、小普請となる。手代、内詰まで残らず扶持を召し上げられる。仰せ渡しには彦九郎は鳴海女のことで不始末があり、役をおろそかにしたと云々。彦九郎はこの役を19年務め…

このような素晴らしい僧侶もいます

宝永1年9月11日。大光院逸堂が万松寺の住職となり、善篤寺は大光院の住職となる。この逸堂は金銀に手を触れることはせず、無欲な堅物であった。慈悲礼儀深く、かつてお褒めにあった坊主であると。

伊勝山宗寿へ行くのはたんに酒が飲みたいため

宝永1年9月5日。昼前から文左衛門は瀬左・加兵と伊勝山宗寿のところへ出かける。酒などを飲み楽しむ。申半(午後4時)に帰り、勝曼寺を詣でる。宝永1年9月9日。巳半(午前10時)過ぎから文左衛門は瀬左・加兵・源太左・友弥と伊勝山宗寿へ出かける…

勧進能は寄付を集めるためのものです

宝永1年9月2日。この日から飴屋町で勧進能が行われる。役者付。太夫は川勝権六。ツレは柘植佐兵衛、北村小太郎。子役は品村浅之丞、川勝酉三郎。ワキは山本伝左衛門、吉田十郎右衛門。笛は藤田三右衛門、勝山弥平次。小鼓は稲見喜左衛門、三上勘助、坂井…

知らないこともあるんですね

宝永1年9月1日。未(午後1時)前、巾下万松寺領の又右衛門という者の小家から火が出る。直ぐに消し止める。文左衛門はこれを知らなかった。

宝永1年9月の天気です

宝永1年9月3日。雨が降る。未半(午後2時)過ぎに止む。夜、段々と晴れる。宝永1年9月4日。晴。宝永1年9月8日。申(午後3時)過ぎて曇る。夜、大雨となる。夜が更けて止む。宝永1年9月9日。曇。時に薄く日が差す。時に曇る。巳半(午前10時…