名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

酒での失敗がその後の人生を決めてしまった

宝永6年4月9日。
朝比奈宇右衛門のことは兵部宅で申し渡しがあり、知行・居屋敷は召し上げられ、5人扶持小普請となる。
江戸より名古屋へやって来る。

近頃、浪人高松半助という者は京で世話をしてくれる者があると、母と一緒に出かけたがるが分散(破産)してしまい、失望して半介は途中で身を投げて死んでしまう。
母は名古屋に知る者がいると言ったので名古屋へ送って来た。
旦那寺の巾下日蓮宗本立寺へ出かけ、身の不幸を語り、托鉢して回ると云々。
坊主は憐れんで鳥目(銭)200文を取らせると、墓を詣でると出かけたが、懐中から用意した縄を取り出して木にかけて首をくくった。
書置も銭も側に置いてあった。
半介は元は六郎様の小姓であった。
28、9年前に同じ六郎様の小姓仲間大塚益右衛門・後の織右衛門阿部友之丞とともに出来町の六郎様坊主衆のところへ出かけた。
大いに酔っ払い、帰りに知り合いでもない渡辺七内のところに寄り、とても酔っぱらった半介は大塚の短刀(ワキザシ)を抜いて切りつけたが、大塚は外して危うく免れた。
代官町楢沢太郎左衛門のところに住んでいた半介の母親は裸足で申(午後3時)頃駆けて来ていろいろと謝った。
半介は裸で七内の裏を走り回った。
日が暮れて半介は駕籠に乗って帰った。