名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

失敗を隠したのか

宝永4年5月23日。
夕飯後、勝蔵が文左衛門のところにやって来る。
酒などを出して、それから味鏡(鋺)へ釣りに出かける。
酒などを飲んで夕暮れに帰る。
末森の塩硝蔵の工事で広井村の町人足が土を掘っていて穴が崩れ、睾丸(キン)を強くうつと。
掘り出し、あんだ(編板)に乗せて帰すが、途中で死んでしまうと。
朝飯頃、津金武右衛門若党が向かいの福嶋八郎右衛門の長屋で自殺する。
死ぬ前に武右衛門のところから若党を引き取り、武右衛門のところで死ぬ。
八郎右衛門が若党を粗忽に渡したことや武右衛門にも不注意などがあって、両人とも永らく遠慮した後で決着がつく。
実は武右衛門が手討ちにし損ねたのを若党が乱心したことにしたと。
生姫様が京都を出発する。
儲君(皇太子)が宣下する。
松平紀伊守室が亡くなったため延期されていた。
先日、関札で上京した林惣左衛門は出発が遅れたので帰ると途中に鈴鹿で落馬し、大けがをする。