名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-01-07から1日間の記事一覧

4月30日の天気です

元禄9年4月30日。曇。辰刻(午前7時)から雨が降り始める。

操りは出雲守のところで行われました

元禄9年4月29日。晴天。操りが行われる。江戸から太夫がやって来る。先頃から梶原源左衛門の世倅は妖狐に悩まされていた。いろいろと話すと。何年も伊豆那(邪法)を修行するも会得できずこの如くと。この後、死んでしまう。

4月28日の天気です

元禄9年4月28日。晴天。

4月28日の天気です

元禄9年4月28日。晴天。

医療保険のない時代、治療費はバカにならない

元禄4月27日。巳刻(午前9時)より雨が降る。この日で文左衛門の家の修理は終わる。おおよそ12日半かかる。岩田金右衛門家老服部勘蔵は永らく病を患っており、いろいろと治療を試みるもよくならなかった。近頃、勘蔵は自分の家計を調べ、病気が長引く…

また自殺ですよ

元禄9年4月25日。午(午前11時)前から晴れる。近頃、竹腰筑後守家来に召仕下女が自害すると。

江戸時代も自殺が多いなあ

元禄9年4月24日。未刻(午後1時)過ぎると曇る。夕暮れ前から雨が降り始め、そのまま止まず。近頃、谷口安右衛門召仕が自害すると。昨年の深井丸番所灯の油代は銀四匁三分三厘。役目の24人で割り、1人銭13文出す。

どうもわからない事件だなあ、ただの不倫ではないのか

元禄9年4月23日。段之右のところへ仲間や近所の衆が心配して集まる。この朝、彦平が御老中山澄淡路守へ事件を報告する。申半刻(午後4時)五十人目付川合作右衛門、大村源兵衛両人が押の者ふたりを従えてやって来る。段之右と向かい合い、問いかける。…

大掛かりな隠ぺい工作、何を隠そうとしているのか

元禄9年4月22日。申刻(午後3時)、長岡庄左衛門下僕関介はこの春まで神谷段之右衛門のところで奉公し、関内と名乗っていた。野崎村の仁左衛門の弟で、段之右衛門の百姓であった。申8点(午後4時半過ぎ)、神谷段之右衛門のところへやって来て、茶の…

相手の気持ちは関係なしか

元禄4月19日。曇。辰8点(午前8時半過ぎ))過ぎると晴天となる。近頃、六郎様足軽と同中間関内が女のことで夕暮れ時に出来町の麦畠で闘った。中間が倒れたので、足軽は中間が死んだと思い野呂作之右衛門のところへ引き上げた。そして門に入ったところ…

迷惑な弟を持つと兄も大変だ

元禄9年4月18日。御馬廻組鈴木善右衛門が乱心する。かなりの性悪者であった。兄鈴木七兵衛に御預けとなる。

東照宮祭です

元禄9年4月17日。大雨だったが、卯半点(午前6時)に止む。辰半刻(午前8時)より晴れ渡る。辰8点(午前8時半過ぎ)、大殿様が御社を参られる。大殿様は桟敷へ御出でになり、祭礼を見物になる。祭礼はいつもの通り未刻(午後1時)に終了する。本町…

4月16日の天気です

元禄9年4月16日。巳刻(午前9時)過ぎから少し雨が降ったり止んだりする。申刻(午後3時)から雨が降り始める。夜更けには雨が降り、暴風となる。

勤務中に酒を飲んでの失態、これは今なら懲戒免職

元禄9年4月10日。雨が降る。その後、降ったり止んだり。午(午前11時)より晴れる。近頃、井野口六郎左組の衆が御深井丸御番の際に泥酔して転び、脇差の鞘を打ち砕いてしまう。或いは弓を多門の上から落とすとも。中間の脇差を差し、その間に家から取…

4月9日の天気です

元禄9年4月9日。未刻(午後1時)過ぎると曇る。申半点(午後4時)から雨が降り始める。

この大工ははずれだな

元禄9年4月4日。この日から文左衛門は大工権三郎を雇い、破損した箇所の修理を行う。疝気(腹痛)とかで、午(午前11時)には帰ってしまう。その後も大抵昼で帰ってしまい、1日勤めるのは稀なことであった。この疝気は昼前になるといつも痛み始める。…

じゃあ、何の意味があったのか

元禄9年4月2日。松本加兵衛は願いの通り御役料を召し上げと言い渡した上で、小川六太夫に手代・足軽は御預けとなる。また御役料は元の通り下され、御役はそのまま勤めるようにとのこと。結構な思し召しである。

4月1日の天気です

元禄9年4月1日。雨が降り、巳刻(午前9時)には大雨となつ。昼前には止み、段々と晴れる。