名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-03-23から1日間の記事一覧

おどけ能って子どもが行う能かな

元禄11年8月20日。真福寺でおどけ(お道化?)能が行われる。大夫は12歳の斎藤弥十郎、13歳の北条小二郎13。十三郎狂言を行う。

この額は江戸の寛永寺に掲げられました。

元禄11年8月16日。東山天皇御宸筆瑠璃殿の額は大きさ2間(1間は約1,8メートル)ほどあり、その覆いは家ほどの大きさあった。熱田でも通ることのできない場所があり、庇などを壊すところが多くあった。奉行は厳密な人であった。この日、隼人正組に…

楽しみにしていたのでは

元禄11年8月13日。目付衆から明後日15日の八幡祭には召仕を連れて来ないようにとの廻状がある。

プロならプロらしくしないと

元禄11年8月10日。竹本筑後掾・藤原博教が尾頭で操りを行う。ワキ竹本喜内で4人がやって来る。昨日、松本治太夫が浄瑠璃をかたるうちに中風(手足のしびれ)し、気絶する。その後で息をふき返す。以前から浄瑠璃が少しも人が集まらず、特にこの日から…

博奕撲滅週間か

元禄11年8月9日。博奕打ち20人ばかりを捕らえる。

海上まで監視していたのか

元禄11年8月8日。熱田の西門の先にある山伏の家で、博奕打ち6人を召し捕る。船で海に出て博奕をしていたので、後をつけるとこの山伏の家に入ったと。

どうしようもない息子だな

元禄11年8月3日。当御代(綱誠の治世)になって御年頭ならびに頭の勤めは1日もなし。近頃も代わりに文左衛門が勤める。火事番さえも病気と言えば許されるのでこうなってしまう。新番頭山下武左衛門はどうしようもない淫乱であった。江戸で傾城町などへ…

後を追って死ぬほど惚れていたのか

元禄11年8月5日。酒屋久左衛門、初めの名は助四郎の妻が死に、夜、南寺町瑞宝寺で葬る。人が帰ると6年勤めた手代が譖(潜・ひそか))に残り、埋めた上で自害に失敗し、念仏を唱えていた。住持がこのように大勢が出入りした時は盗人などが紛れ込んでい…

大公の耳にも入っていたのか

元禄11年8月2日。石原内匠の妻を大公のお考えで親の石河伊織へと返す。内匠は甚だ淫乱かつ不行跡であった。しばらく引きこもる。

元禄11年8月の天気です

元禄11年8月1日。雨が降る。元禄11年8月2日。雨が降る。元禄11年8月3日。ジメジメする。時にしばらく雨が降る。夕暮れ前に雷が鳴り雨が降るが、止む。元禄11年8月4日。曇、時に雨。深夜には大雨となる。元禄11年8月5日。雨が降るが、卯…

1日で終わっちゃうのか

元禄11年7月28日。矢田で惣打ちが行われる。井野口六郎左衛門が行い、この日1日で終了する。文左衛門は近所の者4、5人と申刻(午後3時)過ぎに見物に出かける。教順寺に米30石が下される。駿河町浄円寺も同様。

河原にあれば仕方がない

元禄11年7月21日。東の方で雨が強く降ったようで、矢田川は洪水となり、鉄炮小屋が流される。

殿中とは迷惑な

元禄11年7月26日。亥刻(午後9時)、但馬様(松平友著)御小姓役岡本仙之右衛門が殿中で自害する。

コネですな

元禄11年7月22日。近頃、川口三右衛門の弟甚五右衛門が御内証八三郎様衆に金15両の宛行(給与)で召し出される。御目見でもない者であったが、三右衛門妹松尾は公の覚めでたい御出頭(近習)で、その執奏(推薦)による。

しつこいぐらいに穏便と

元禄11年7月18日。この日、廻状がある。法事のため諸事謹むように。

酒でも入っていたのだろうな

元禄11年7月16日。熱田の海で智法院様(喜知姫)の水施餓鬼が行われる。子刻(午後11時)、鉄炮塚町で町人が踊っていると、諸士の中間が主人の乳母に子を抱かせ、踊りを押し分けた。踊っていた者はこれに怒る。その時、見物していた飯田町桶屋甚蔵が…

穏便が解けたから

元禄11年7月15日。願證寺で操りが行われる。太夫は松本治太夫、ワキ吉太夫。真福寺で南京からくりが行われる。

フライングじゃないですか

元禄11年7月13日。穏便はこの日限りとの触状がある。しかし、町ではこの夜から踊りを行う。

少し前に養子が決まっていたのに

元禄11年7月12日。廻状が来る。切紙を以って伝える。喜知姫様が去る6日の夜に御早世なされたので、とりわけ音曲鳴物は止め、穏便にするようにとのお考えである。期限については今後言いつけがあることを御老中が言い渡される。そのように心得ているよ…

元禄11年7月の天気です

元禄11年7月6日。申半(午後4時)から雨が降る。元禄11年7月7日。雨が降るが、辰半(午前8時)に止む。雲が流れ、東風が吹き、急に雨が降る。夜中から風が強くなる。元禄11年7月8日。明け方前、風が強く吹く。辰(午前7時)過ぎると和む。そ…