名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

どうしようもない息子だな

元禄11年8月3日。
当御代(綱誠の治世)になって御年頭ならびに頭の勤めは1日もなし。
近頃も代わりに文左衛門が勤める。
火事番さえも病気と言えば許されるのでこうなってしまう。
新番頭山下武左衛門はどうしようもない淫乱であった。
江戸で傾城町などへ行き、そこに預けている女も多くいた。
伯父で養父である道三の妾と密通し孕ませていた。
父道三が息子の不孝を申し上げたところ、織田宮内は武左衛門の行跡は父が知っていて詳しい書付を出したのでこのように明らかになったが、本当によいのかと。
それでも道三はどうしてもお願いすると言うので、江戸より呼び寄せ、御当地(名古屋)には今後居ることはできない申し付ける。
道三には20人扶持が下される。