名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-09-10から1日間の記事一覧

朝鮮通信使がお戻りです

正徳1年11月29日。申(午後3時)前、三使が性高院へ到着する。出入りに鉄砲を放つのは先日と同じであった。対馬守は惣見寺から来られる。七五三(膳)を共に食べる。五々三などが出たのは来聘の饗応と同じであった。巳刻(午前9時)前から先立の韓人…

久々のお仕事

正徳1年11月26日。文左衛門は昼から磯貝武右へ口米帳面を確認に源右・平左と出かける。亥(午後9時)前に帰る。

やはり残虐な殺人は死刑

正徳1年11月21日。申(午後3時)頃、文四で酒を頂く。その後御下屋敷東から禅寺町へ出て、先日の焼け跡を見る。法花寺町東側日蓮宗寂通院は幸いにして焼けていなかった。日蓮宗は愚俗(愚かな世や人)を珍重する。老中は火事の定めを言いつける。他へ…

文左衛門がなぜ起に行ったかわからない

正徳1年11月20日。新六は墨俣まで行かれ、巳(午前9時)過ぎに起へ来られる。事が済んで文左衛門などは食事をし、未(午後1時)前に起を出発する。稲葉で酒を頂く。ここから名古屋まで乗る。亥(午後9時)前に帰宅する。

この日に朝鮮人が江戸を出発すのでその出迎えか

正徳1年11月19日。文左衛門は卯半(午前6時)起へ若党に槍・両篭・沓篭持たせて出発する。小一と巾下で待ち合わせ一緒に出かける。六角堂茶屋で酒を頂く。稲葉で昼食をし、ここから起まで乗る。本願寺本誓寺に共に泊まる。吉原甚太が境川まで出向く。…

確かに馬って美しい

正徳1年11月17日。大泉太兵衛でうどん・酒などを頂く。太兵衛の案内で厩を見るのは光栄であった。北の厩に大栗毛という馬がいおり、体高は十寸(とき、約1.5メートル)ほどあった。南の厩には富士川という馬がおり、秘蔵の早馬であった。江戸で80…

得をしたってことか

正徳1年11月16日。近頃、高橋文右衛門が名古屋へ戻るので、朝鮮人へ遣わす銀260枚を江戸銀座で純銀ばかりに引き替える。こちらから普通の銀を持って行き、余分に払わずく替えてきた。

放火と密通ってどういう関係があるの

正徳1年11月15日。1日とこの日の広井飯沼安之右衛門のところでの放火は安之右衛門の姉の仕業で、召仕の男との密通が原因であった。姉を押し込め置くと云々。

うまく逃げた

正徳1年11月13日。近頃、医者の輪講を仰せ付けられたが、なかなか行われなかった。全員わかっているけれど、弁舌が苦手で講釈をできない者がいると上手く申し上げて中止となる。

今の働き方改革にはあってますが、責任感の問題

正徳1年11月12日。子(午後11時)過ぎ、禅寺町鍋田丹右衛門の控家、当時は天野善次郎の長屋から火が出る。風が強く法花寺町へ燃え広がり、南へ8丁(1丁は約100メートル)焼け、1町(1町は約100アール)ほどで丑半(午前2時)過ぎに鎮まる…

お家騒動ってやつを隠ぺいしたか

正徳1年11月9日。三州挙母(コロモ)城主1万石本田山城守は毛利甲斐守の実子であった。長門守に入婿となり、拳母の城主となった。長門守弟は伊保の城主本多弾正といい、まぎれもない権力者であった。この日(10月9日)150石山城守側用達三村市左…

概が年貢率で、下がった率が記されているんですかね

正徳1年11月5日。今年の免合(年貢率)の覚。尾州4分6厘9毛、2分8厘2毛下がる。濃州4分8厘1毛、4分5毛下がる。卯年概は高3ツ7分6厘9毛。残高4ツ7分5厘3毛。寅の免より4分7厘2毛下がる。残は3分2厘下がる。

望めば叶うのが殿様

正徳1年11月3日。市買(市ヶ谷)へ進物の鷹が到着する。赤林貞右衛門が請け取り、尾州から鷹匠が来るまでは速水藤左衛門に預ける。対馬守が牽いてきた朝鮮馬を公が所望したので、惣見寺で大泉太兵衛がこのことを説明する。江戸市買(市ヶ谷)へ馬を牽い…

あー、残酷だ

正徳1年11月2日。火あぶりが行われる。火あぶりとなったのは、去年大津町下で捕らえた者で名は藤右衛門という。

正徳1年11月の徳川吉通の動向

正徳1年11月4日。山田彦内弟子の俰(柔術)と兵法を対面所の庭で見物する。連枝様方も同席して見物する(後略)。正徳1年11年5日。建中寺を参詣する。正徳1年11月9日。三枝新八弟子の武蔵円明流二刀を見物する(後略)。正徳1年11月13日。…

正徳1年11月の地震です

正徳1年11月19日。卯(午前5時)前、地震があり、一度揺れる。

正徳1年11月の天気です

正徳1年11月1日。快晴。霜が降り、氷も張る。正徳1年11月2日。曇。辰(午前9時)から雨が降る。晴れるが時々雨が降る。正徳1年11月3日。晴。正徳1年11月4日。快晴。正徳1年11月5日。曇。辰半(午前8時)過ぎから雨が降る。1晩中雨が…