名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今の働き方改革にはあってますが、責任感の問題

正徳1年11月12日。
子(午後11時)過ぎ、禅寺町鍋田丹右衛門の控家、当時は天野善次郎の長屋から火が出る。
風が強く法花寺町へ燃え広がり、南へ8丁(1丁は約100メートル)焼け、1町(1町は約100アール)ほどで丑半(午前2時)過ぎに鎮まる。
今井茂右衛門の子弓の衆は火事場でとがめられる。
水野角太夫は現れず、後日野崎七郎左衛門が城で角太夫を詰問する。
側には鈴木安太もおり、角太夫が言うには、火事と聞いて起きて屋根の上に上がり見ると遠くにどうあかり(銅色の火?)が見えたので、用意して出ようとすると足軽も2、3人やって来た。
出かけるとどうあかりは見えず、鎮まったように見えた。
その上休みだったので出かけなかったと云々。
江戸へ使いに行くための休みであった。
七郎左衛門がその時誰かに届を出したか言うと、角太夫は否と答えた。
七郎左衛門が言うには、先手の役人に火事の際でも休みはない。
役儀にふさわしくない返事だと云々。
その後角太夫は江戸へ使いに出かけた。
何事もなく勤めて帰ったが、翌年2月9日に役儀を解かれ、逼塞する。