宝永6年12月7日。
建中寺からの帰る午前(午前11時)、1匹の大きな猪が主悦筋を東からやって来たので新町の木戸を打ち鳴らすと、また西へ戻り、辻番から北へ行き、勝蔵(ママ)町などその他あちこちを徘徊した。その後やっとのことで駿河町下星野七右衛門下やしき近所で七右衛門の足軽が仕留めた。初め鳴海山から現れ、本町を過ぎ、片場などから主悦筋へやって来た。槍・棒・鳶口・弓箭(矢)で大騒ぎしながら追いかけた。とても騒がしかったので撞(橦)木町をまっすぐに通って帰城する。
宝永6年12月8日。
未(午後1時)頃、狩衣で参詣する。剣は渡辺飛騨守、緒太草履は伊与守。
宝永6年12月10日。
未(午後1時)頃、束帯で参詣する。剣は渡辺飛騨守、靴は伊与守。
宝永6年12月11日。
辰半(午前8時)、茅庵から馬で出て惣河戸から主馬殿へ出向く。内々ということだが慌ただしいものだった。酉半(午後6時)過ぎに帰る。老中では兵庫殿が迎える。兵部殿・縫殿殿が寄合から来て、この2人が相伴する。お囃、高砂・東北・養老、その後また5番行われる。永昌院にちりめん、主馬殿に黄金1枚、時服・樽肴を贈る。内緒で32点下す。その中には定家の筆による掛物などもある。
宝永6年12月13日。
平村へ川狩りに出かける。
宝永6年12月15日。
出仕が終わり、御下屋敷へ出向き、逗留する。
宝永6年12月17日。巳半(午前10時)、御下屋敷から長上下で社参し、直ちに御下屋敷へ帰る。
宝永6年12月18日。
植田山へ出向く。
宝永6年12月20日。
巳半(午前10時)、御下屋敷から三御仏殿を詣で、また帰る。
宝永6年12月25日。
御下屋敷から帰城する。
宝永6年12月26日。
巳半(午前10時)、供の帳が出る。段々立(供をする順番?)を記してあったので略す。
宝永6年12月27日。
お忍びで茅庵(茅庵門)から馬で出て、主馬殿へ出向く。船に乗り裏門から入る。