天明2年(1782年)。
1月。
1月1日、晴天。
14日巳ノ上刻(午前9時半)、白壁町永井藤左衛門の屋敷より出火し、近年覚えないような大火となる。
今月は雨が少なく、毎日日照りが続き、乾いた北西の風がますます強くなり、白壁町内では東隣の2軒が焼失する。
主税筋・しゅもく(撞木)町・片端筋屋敷は数多く類焼する。
その間に鍋屋町裏へ火が飛んで燃え始める。
また昼頃には奥田町・白山横町へ火が飛んで燃え出し、上は萱屋町、それより御下屋敷(おしたやしき)あたり、法花寺町妙本寺より上の寺々は焼失する。
東の方では御添地、これより東南へは出放れの松原までが残らず焼失する。
ただし、玄海村乞食の家は残る。
飛火にて古井村宝珠寺が燃え出し、村では10軒に類焼して七ツ(午後4時)頃鎮火する。
夕暮れ頃に御側組屋敷が焼失し、火元の屋敷には大黒舞(正月に大黒の格好で福を招く舞を演じる)がやって来ており、家中が見物しているうちに火が出て急に燃え広がると。
大黒舞とむきみ売(貝の行商人)は命からがら逃げ帰る。
近所の子どもが見物に行くが、怪我もなく何とか逃げ帰ると。
焼失の場所は別に記す。
この飛火にて川名村、丸山あたりが少し焼けるとの噂がある。
また、香積院の亭が焼けるというが全て嘘である。
ただし、三州池鯉鮒(知立)にても焼失した家がありというが、これは確かなことである。
鳴海あたりへも大分火の粉が飛んできており、騒ぎになると。
この火事の後、放火の噂が多くあり、火道具などが放ってあるのを見つけて騒ぐところがたくさんある。
少々の火事でも特に乾風が強い場合は気をつけなければならない。
また、盗人があちこちへ入ったとの噂も多くある。
侍、町人ともに騒がしく、昼夜の区別なく注意を払う。
町々では夜に増番が始まり、木戸は六ツ(午後6時)より閉めて往来まで送り届け、提灯を持たない者は一段と厳しく咎め、また、他にも町々を見廻ることもある。
侍・町人においても小林あたり、山口あたり、代わる代わる門前に床台を出して、自ら番をし、あるいは家来が番をする。
広井あたりでも同じように行うところもあり、家々では拍子木・棒を突いて屋敷の中を見廻るのは前代未聞である。
町々で木戸のないところは梯子を横にし、番所の前を少し開けて通らせる。
また野放れでは青竹で木戸を拵え、出入りを調べる。
2月。
2月1日、2日、4日の3日間、御能が行われる。
殿様(宗睦)が大納言に昇進なされ、五郎太様が誕生された御祝儀である。
御家中の輩、寺社・医者・町人まで見物を仰せ付けられ、御目見の輩までに料理を下され、町人どもへは中入りに強飯を下される。
(演目、演者略)。
3日夜、堅杉之町湯本氏屋敷厩が焼失する。
馬が焼死する。
厩の他には被害なし。
5日、出来町大龍寺本尊釈迦如来を京都より迎える。
仏を車に乗せて飾り、道々で歌念仏唱えて人が集まり、枇杷島より伝馬町を通って本町へ出る。
大丸屋で休憩し、そこから京町通を出来町まで通り、夕暮れ頃に到着する。
書き忘れ、この間に巾下枝郷、また巾下で火事がある。
8日より3月21日まで、海東郡坂巻村延命寺を開帳する。
本尊、延命薬師ならびに霊宝数多く披露する。
15日より4月5日まで、瀬子村石山寺観音を開帳する。
千仏掛物・古物を披露する。
芝居・茶屋などもあり、繁盛する。
部田祐福寺常念仏、造立供養の法事が行われる。
次々と盗賊どもを召し捕り、世間は静かになる。
巾下六句で手習い師匠が火を付け、召し捕られる。
我が家に火を付けたので乱心かと。
その後許される。
また、山本院の近所でも放火がある。
総じてこの頃放火が多くあり、女の放火もあり、全ては記さず略す。
3月。
3月1日より、笠寺を開帳する。
同3日より4月9日まで小松寺を開帳する。
同じく牛毛村地蔵尊を開帳する。
2日、殿様が出発されるはずのところ、病気のため延期を言いつけられる。
柳町周泉寺秋葉本尊観音を開帳する。
6日、巾下の放火犯が火あぶりになる。
広小路で3日間さらす。
幸姫様(八世宗勝孫・上杉鷹山室)が去る11日逝去され、15日に物静かの令命が廻る。
この春、細井平洲先生の講釈が村々で行い、聴聞する者が多くある。
講日・場所は、勝幡村11日・12日・13日、津島15日・16日・17日、鳥井(居)松22日・23日・24日、濃州岐阜4月1日より5日まで。
4月。
4月9日、堀詰町米屋息子が火あぶりになる。
この者はそれなりの暮らしをする者で、借家などを持つほどの者だが乱心かと。
火を付ると人が騒ぐのが面白くてあちこちで火を付けると。
そのため重い刑となる。
9日、御側の輩が岐阜へ馬で出かける。
卯ノ上刻(午前5時半)に出て、未の上刻(午後1時半)に戻る。
往復で18里(1里は約4キロ)。
5月。
5月10日、夜、西枇杷島で火事がある。
大曽根の米屋が召仕の女を愛することに女房は腹を立て、子を殺して自殺する。
亭主の仕打ちがひどかったのでその当てつけだと。
このことは誰しも肝に銘じるように。
慎むべきことであり、恐れるべきことである。
稲荷で大芝居の興行が行われる。
6月。
前津大池の東、汐川のあたり七本松で立願奇瑞(願いをかけると不思議な現象が現れる)があると人が多く集まり、とても繁盛するので商人なども多く現れる。
そのため、ある人の狂歌に「七本の松に願が叶ふげなあふいけあふいけと人はどんどん」。
7月。
7月、先日より長らく続く雨のため、世間では病人が多く出る。
23日、西北の村々で洪水がある。
昔から洪水になったようなところが初めて洪水になると。
25日より、若宮にて子ども相撲が行われ、行司はかなりの美少年である。
大評判となる。
小屋入りには振袖で現れ、門内の茶屋へ連れて行って酒などを飲ませる者もある。
羨ましがって意地をはり合い、茶店で口論になると。
米の値段は100文で1升。
14日夜、地震がある。
15日夜五ツ(午後8時)頃、また地震がある。
2度とも大きな地震であった。
8月。
8月5日より、泰雲寺にて大和和尚読物(法話)が行われ、100人の雲水僧が集まる。
志水甲斐守殿よりこの僧に斎米50石を捧げる。
参詣の者が多くあり、書院の庭へも参詣の輩を入れて拝ませる。
あちこちの洪水にあった村々では病人が多く、死ぬ者も数多く出る。
先月より、御医師ならびに伊藤玄沢に命令があり、村々を船で治療に廻って薬を与える。
そのことを殿様は当8日お聞きになり、熱田でこの村民の安全ならびに五穀成就の御神拝、御誓願を行うようにと田嶋(熱田神官)へ命令の使者がある。
9日・10日・11日、神官を始め諸社人が出仕し、一万座の祓いを行う。
その後、祓い大麻を献上する。
実にありがたい殿様のお恵みである。
東懸所竹束門の石築に村々より寄進にやって来る。
10日昼過ぎから夕方まで、暴風となる。
あちこちで高塀が倒れ、木が折れる。
15日、殿様が出発する。
東海道を通る。
この夏、桑名町一丁目丁字屋倅が連れ去られ、京・大坂・江戸・日光などを見物して7月20日頃戻る。
出て行ったのは5月4日のことで、袷を着て行くが、途中で山伏が暑くなったので帷子を持って来ているので着るようにと言って帷子を与える。
これは我が家の長持ちに入れてあった帷子だったと。
この者は15、6歳だと。
藤筒を1ツ貰ってくる。
あちこち見物したことを詳しく語ると。
10月。
10月6日昼、鍛冶屋町革屋の5才になる子どもが土を積んできた車に引き殺される。
馬が多くやって来たので、後ろへ後ずさりしてやり過ごそうとしたところ、横から子どもが転んでこの如く。
その馬子を捕えたとも、逃がしたとも。
いずれにしても不憫なことである。
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