名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

偉い方に名が付くと、よく似た名の人は改名って江戸時代によくある話

安永10年、4月天明と改元(1781年)。
1月。
1月1日、晴天。

26日より2月15日まで、海東郡鯰橋村において奥州南部本誓寺蓮かぶり親鸞聖人ならびに宝物を弘通する。

2月。
2月11日より藤嶋の賢林寺本尊観音を開帳する。

15日より七ツ寺千本の薬師を開帳し、霊宝五体尊一幅・白蛇の玉も披露する。

22日より西条村善知坊にて南部の弘通が始まる。

同日より枇杷島石川薬師を開帳する。

23日より同所西源寺にて京都深草西岸寺親鸞聖人藁□木像ならびに宝物を弘通する。

同、清音寺蚊祭薬師を開帳し、霊宝も多くある。
ただし、霊宝三ツ渕正眼寺より借りるとも。

26日より、児玉村観音寺を開帳する。

3月。
3月5日より知多郡大野東龍寺にて五臓の阿弥陀仏ならびに霊宝、品々を開帳する。
ただし、五臓の仏は名古屋栄国寺の什物を借りて弘通すると。

3日より飛保曼荼羅寺曼荼羅ならびに霊宝を開帳する。
ただし、当年は練り供養は行われず。
練り供養の道具は飾る。

8日より出来町大龍寺を開帳する。

10日より部田祐福寺小三尊ならびに霊宝を開帳する。
同寺にある孝甘院にて三州十念寺円光大師阿弥陀如来御陣幕、その他品々を弘通する。

4月。
4月10日より15日まで、猪子石村長福寺本尊を開帳する。

同日、中嶋郡妙興寺開山四百年遠忌が行われ、11日には大法事が行われる。
開山堂に唐画の十六羅漢がかかる。
方丈にケイショキ(啓書記)の三幅対、モッケイ(牧渓)の五幅対、秀吉公御寄附の屏風一双が出る。
書院にて多くの人に披露する。
諸国より集まった僧はおよそ1000人余りと。
導師は水野定光寺。
法事は京妙心寺開山忌同様と。
寺の大場(太陽)庵で水野定光寺・白林寺・政秀寺など紫衣の和尚方が休息する。
右向かいでは府下諸寺院・小寺などが休息する。
その他は雲水の僧の休息所となる。
あちこちから参詣の者が多く集まる。

御祭礼が17日に行われる。
御先乗は平沢只左衛門、都筑定左衛門。
押乗御先手頭は小見山善左衛門、野崎三之左衛門。

殿様(宗睦)が従二位大納言に任ぜられる。
これは今月12日のこと。
25日、御家中の輩は御祝詞を申し上げる。
ただし、触れは18日に廻る。

御養君(跡取り)を言いつけられたので触れがある。
そのため、両殿様へ御家中御祝儀を申し上げて終える。
一ツ橋(御三卿の一つ)より御養君(十世斉朝)、このため殿様の御帰国が延期される。

5月。
閏5月。
閏5月、大須の芝居へ中村富十郎がやって来て、大入りで繁盛する。
傾城反魂香・石橋ならびに行平磯馴松・汐汲の所作事、全てが大評判となる。
この度は京都惣一座を引き連れてくる。

1日、2日、総見寺にて織田信長公二百回忌の法会が執り行われる。
このため書院を建て替える。
その他にも寺中で作事が行われる。
両日は多くの人に霊宝などの拝見を許す。

6日、殿様は江戸西御殿御座之間御庭にて相撲ならびに力持ちを仰せ付けられ、御側向(側近)は御前で見物する。

佐久間氏のまじないはますます繁盛し、隠居して吉田寺林水と号す。
本尊は庚申、脇立不動明王、聞いたこともないような不思議で奇妙なことがたくさんある。

15日、殿様は江戸表を出発し、同23日に城に着く。
東海道を通る。

当4月13日、年号を天明と改元することを言いつけられ、同19日触れが廻る。
ただし、京都は2日に改元する。

9月。
9月24日、御側向の輩に騎射をさせ、御覧になる。
東大手には殿が到着る前に馬場が出来上がり、板囲いのため外からは見えず。
見物のことを願い出れば見物できるようである。
稽古は三之丸追廻し(馬場)で6日間ほど行われる。
騎馬をする者は小笠原平兵衛へ入門するようである。

10月。
10月15日、従姫様(治行夫人)が安産で出産される。
若様が誕生する。
触れが19日に廻る。
名は五郎太様とする。
触れが25日に廻る。
五郎、九郎太、五郎左衛門、次郎太郎、五郎八の類は改名を言いつけられるとの触れがある。

この春、御出入の細井甚三郎(平洲)は300俵を下される。
次々と門弟になる者、講釈を聞く者がたくさんいる。
片端、田辺氏の空き屋敷へ入ると。

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