名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

宝永7年2月の徳川吉通の動向

宝永7年2月1日。
出仕のあと、御下屋敷へ逗留のため出向く。
宝永7年2月4日。
連枝様が御下屋敷へ出向く。駿河口の茶屋で夕暮れまで及ぶ饗宴がある。
宝永7年2月5日。
下屋敷から直ちに長上下で建中寺を詣でる。また直ちに御下屋敷へ帰る。
宝永7年2月11日。
辰刻(午前8時)、御下屋敷へ柳生流剣術、上泉の居合、管流槍を集め、見物する。雨天のため座敷から見物する。(後略)
宝永7年2月12日。
この日、御下屋敷で田辺槍・近藤九郎兵衛槍・猪谷只四郎剣術を見物する。(後略)
宝永7年2月13日。
この日、文左衛門たちの槍を見物しています。(別記)
宝永7年2月15日。
辰刻(午前8時)、供を揃え、御下屋敷から帰る。出仕がある。新しい供帳と道中法度の書出がある。(後略)
宝永7年2月27日。
兵部の子津田九郎三郎と津田藤九郎を御座の間に呼び寄せ、御前で槍を使わせる。その後2人の槍を見物し、褒めて陣羽織1つを下す。
宝永7年2月28日。
内々に主馬殿へ出向く。