宝永6年11月2日。
この明け方丑刻(午前1時)、供を揃え、寅刻(午前3時)、駕籠で出発する。小牧で昼をとり、二ノ宮を見物し、巳8刻(午前10時半過ぎ)、犬山に到着する。黄金10枚、時服10、刀、脇差を拝領、25枚と20枚と云々。末に詳しく記す。用人から押の者まで一等(統)に2汁5菜、中間・小姓など1汁3菜の料理が出て、その他も移税を尽くし一々記すこともできないほど。膳を食べる時は熨斗目に長上下、小姓のほかも熨斗目、長上下、隼人正が配膳する。老中などから隼人正への贈物、また隼人正からの贈物を一々全部を記さず、そのいくつかをここに記す。熊谷与兵から金500疋2種、国用人から300疋1朱ずつが贈られる。隼人正から側同心頭へ1000疋2種、用人などへ500疋1種ずつ贈る。御側で用務を務める者全員に隼人正から樽代・肴が贈られる。その他雇った役人・坊主衆にまでそれぞれに贈物がある。賄頭久米瀬兵衛に銀3枚、粕漬鮎1桶が贈られる。他も同様と思われる。(後略)
宝永6年11月3日。
卯(午前5時)、犬山を出発し、入鹿を見物し池ノ内村大泉寺で昼食をとり、申(午後3時)前に帰城する。
宝永6年11月15日。
出仕の後、御下屋敷へ出向き、逗留する。
宝永6年11月22日。
巳半(午前10時)、御下屋敷から帰城する。
宝永6年11月25日。
鶴料理を下す。南屋敷で弓の衆の的を見る。(後略)
宝永6年11月26日。
鶴の料理がある。南屋敷で勘左衛門・六左衛門弟子御目見衆の的を見る。(後略)
宝永6年11月27日。
この日雨のため、忠兵・藤左・伴左衛門弟子御目見衆の的を延期する。