名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-04-05から1日間の記事一覧

控えに落ちるって胴元が得るってことですかね

宝永5年11月28日。辰半(午前8時)、文左衛門20両の頼母子は文左衛門の控えに落ちる。4両の小頼母子は文左衛門と源太左が調整して得る。昼前から文左衛門は源右へ口米帳の認めに出かける。武右・善兵・元右のもの。文左衛門は酉半(午後6時)に帰…

文左衛門さんは外れ

宝永5年11月27日。夕飯後、文左衛門は半九へ加兵の頼母子に出かける。曽右・八郎右が得る。2分2朱の小頼母子は八郎右が得る。吸物・酒を頂く。

内容が知りたいな

宝永5年11月26日。夜、馬の養育のことで廻文が来る。

静かに去ろうってことか

宝永5年11月23日。藤江理大夫が死ぬ。72才で、10日の朝番が終わってから。近頃、彦兵殿は年をとって耳が遠くなり、物覚えも悪くなったので新左と兵部をして役儀の願いを申される。

晒すのは身元を知るためですかね

宝永5年11月20日。広小路に女が晒される。文左衛門はこのことを翌朝知る。堀江の者で堀川に身を投げたと云々。

よっぽどひどいのか、それともうつしりゃいけないからか

宝永5年11月19日。河野勘右衛門は腫物のため松姫様の入輿の供を断る。このため堀田源右衛門が仰せ付けられる。

年末に向けて頼母子の季節

1708年11月18日。文左衛門は源右へ出かける。客がいたので勝手で酒や食事を頂く。それから加兵の頼母子の䦰が半九郎で行われるので出かける。真野都が得て、吸物や酒を頂く。

これはたいした罪じゃないようです

宝永5年11月16日。近頃、大目付の廻り者3人に暇が出る。これはてこ(手小)の者小頭などと申し合わせて不正があったと。文蔵も昨日夜更けの内に追い籠められる。

覚悟の上で肩透かし

宝永5年11月15日。但馬様(松平友著)御用達河合文五左衛門は馬廻となる。文五左衛門は覚えがあったのか、昨日手紙がやって来て今朝出てくるようにとあるのを見て、夜中に道具を仕舞って若党のところに送り、改易と覚悟してでかけるといずれ片が付くよ…

年末近づくと入用ですな

宝永5年11月14日。文左衛門は手形を1両で9斗替えで売り払う。不同金は7斗4升であったが、12月12日に7斗に変更となる。

このことで事件が起きるのが時代劇

宝永5年11月10日。夜、佐藤弥次左衛門養子の御目見勘右衛門が書置をして立ち退く。これは弥次右衛門に実子ができていずらくなったためこの如く。

実は文左衛門さんは居合もするんです

宝永5年11月5日。巳刻(午前9時)、文左衛門は勝蔵のところで新蔵の居合稽古する。酒、あしめの酢(?)を頂き、そこから清水、大曽根へ廻り、帰りに伝蔵に寄って酒や食事などを頂き、未半(午後2時)に帰る。米5石5斗を売り払い、1両で9斗と替え…

人間、権力に溺れてはいけない

宝永5年11月3日。勘定本締取田次郎左衛門は中村又蔵組馬廻となり、その上御叱りをうける。翌4日に江戸を発ち、11日に名古屋に到着し、逼塞する。次郎左衛門は役人たちに辛くあたり、下の者が迷惑するようなことを度々行った。皆が怒っており、小さな…

現金支給の方が手間じゃない

宝永5年11月2日。文左衛門は米4石5斗を売り払う。1両で8斗9升5合。

いつの時代も抜け道はあります

宝永5年11月1日。吉辰(吉日)のため文左衛門は大工の長左衛門を呼び、蔵の縄張りをさせる。強飯や酒などで祝う。諸士には鳩札(鷹の餌である鳩を獲る許可書)が出ず、村々には札を得るようにと廻文がある。諸士の中には百姓に札を取らせて、隠れて鳩を…

宝永5年11月の地震です

宝永5年11月12日。寅(午前3時)過ぎ、地鳴りがする。宝永5年11月18日。寅(午前3時)過ぎ、地鳴りがする。宝永5年11月19日。夜半、地鳴りがして揺れる。宝永5年11月25日。寅刻(午前3時)過ぎ、地鳴りがする。宝永5年11月26日…

宝永5年11月の天気です

宝永5年11月1日。快晴。宝永5年11月3日。夜、曇る。時々雨が降る。宝永5年11月4日。時々曇る。宝永5年11月8日。薄曇。宝永5年11月10日。夜、曇る。夜中、少し雨が降る。宝永5年11月11日。昼から薄曇。宝永5年11月13日。朝、…