宝永6年11月1日。
近頃、8尺(1尺は約30センチ)の大男1人を江戸へ連れて行くため8人で担いで熱田を通る。
米2升に水8升を入れて煮るとひとすすりで食べてしまい、また数日食べないと。
常に薬を持って舐めていると云々。
詳しくは吉田氏の日記に有るので見てみるように。
近頃、美濃かうづち(上有知)で1人の僧が石臼の目を立てる道具を買い求める。
商人が怪しんで問いかけると来年大いに疫病が流行るのでこれを除くために石臼の目を切っている。
これで食物を挽いて調理し、それを食べると疫病にならないと云々。
この後、郡上・板取その他の家々の石臼の目が新しくなる。
これは弘法のなすところかと大いに驚き、信じる。
何者が目を立て始めたのかわからないが、いつの間にかこの如くと云々。
近頃は名古屋にも広がり、あちこちで皆が信じて目を切り、こぞってだんごを作って食べていた。
諸士の家々も同様であった。
文左衛門の家でも臼の目を切りたい、妻はだんごを作りたいと言っていた。
文左衛門は𠮟りつけて止めさせ、その上妖妄(でたらめ)のことを言うことを止めさせた。
文左衛門が思うに、人々は臼の目を新しくしていない家は、その家の者の心が悪いからと思っていると云々。
また、だんごなどが食べれることを奴僕は喜び、主人にわからないように傷をつけて見せているというようなことであろう。
その目を切るということも少しばかり石を打かき、槌のあとをつけるだけである。
臼の目が全て新しくなるわけではなく、自分の心が悪いと言われるのを憂いて自ら他に見せ、口裏のために主人の愚を欺むいて、婢妾(召使の女)の奸(悪事)を行っている。
ああ、おかしなことで笑うようなことである。