名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-06から1日間の記事一覧

日々の苦しみを嘆く気持ちが爆発したのか

元禄7年12月29日。御本丸番衆は大岡又右衛門・松井勘右衛門・岩本又左衛門であった。今宵、又左衛門は酔っぱらったのか道具などを荒々しく放り投げるなど普段とは様子が違っていた。おまけに寝具も用意せず、葛籠(つづら)にもたれて眠らなかった。時…

今もこういう人はいます

元禄7年12月。近頃、神谷弥五郎右衛門と親たちが二の丸へ呼ばれる。土屋庄左衛門も一緒に雁の料理を下される。また家への土産とまだらの雁を1羽下される。先ごろも土屋庄左のところへ呼び寄せ、御意により弥五右衛門に馬に乗ることを褒美とされる。また…

スパイが動き回ると疑心暗鬼になってしまうもの

元禄7年12月。近頃、堀治部右衛門が3度ほど福留三郎右衛門のところへ出かけた。そこへ行くはずもない者であった。当時、隠し目付がいると噂されていたので、三郎右衛門も隠し目付かもしれないと。信じられる話ではない。 行くはずのないところへ行ったか…

すべてはお見通しよ

元禄7年12月。織田太郎右衛門の妻は二の丸御局の娘であった。和田重蔵の妹であった。また、佐藤宗鑑の女房の妹を太郎右衛門は寵愛し、近頃男子が生まれた。公は太郎右衛門を呼び寄せ、直接仰せられたのは「お前の倅に母はあるのか。」太郎右衛門が答える…

12月29日の天気です

元禄7年12月29日。朝の間、曇る。

12月28日の天気です

元禄7年12月28日。曇。巳刻(午前9時)、激しく雪が降る。わずか1時(約2時間)ほどで、2寸(1寸は約3センチ)あまり積もる。昼過ぎには止む。夕暮れ過ぎまで霙(みぞれ)が降る。

家督を継ぐと家の中で住む場所も替わるのか

元禄7年12月26日。吉日であったので両親が文左衛門の部屋に移り、文左衛門夫婦が表家へ行き、1泊する。

これもどういうお金かな

元禄7年12月25日。石川伴太夫僕が様物になる。首は獄門となる。戌の刻(午後7時)、小さな地震がある。源右衛門殿は金子2分を母にお授けになる。

12月24日の天気です

元禄7年12月24日。晴。雲が散り、風が吹く。

これはどういうお金かな

元禄7年12月23日。雨が降るが、昼過ぎに止む。神谷久左衛門のところへ金子2分を7人で書状にして遣わす。文左衛門・文蔵・平左・円右衛門・佐之右衛門・喜左・元右衛門。

御祝ならば参上しなければ

元禄7年12月22日。先日18日に大蔵様(松平友著)が御任官で、四品(四位)諸太夫。このためこの日は足軽頭まで登城し、これを祝う。但馬守と申す。夜更けに雨が降る。

確かのボヤ程度だし知らなくても当然か

元禄7年12月20日。曇。辰半(午前8時)過ぎ、御園の下で炬燵の火が畳3・4畳を焼き、燃え上がろうとするがすぐに消し止める。町中大騒ぎとなるが、文左衛門は知らなかった。

口米って税です

元禄7年12月19日。薄曇。夜、雨が降るが時々止む。火事があったというが、文左衛門は知らなかった。文左衛門は仲間と共に首尾よく口米を差し上げる。

子どもを殺しても追放で済むのが不思議

元禄7年12月18日。春のような暖かさ。先日子を絞め殺した者の女房、絞め殺された子の姨などが追放となる。娘の伯父のひとりは岡崎弥兵衛のところで奉公していたが、すぐに弥兵衛に御預けになる。が何事もなく許される。

年末の光景です

元禄7年12月17日。家で煤払いを行う。宵の間、時々小雨が降る。触状がきたので別紙に写しておく。先日の御法度の条目と火事の定。

どうやら事件というよりは事故ですかね

元禄7年12月16日。文左衛門は部屋の煤払いを行う。申刻(午後4時)、渡辺源右衛門屋敷西の堀の中へ米を担いだまま倒れ込み、死んだ者がいた。道行く人が走り寄り、引き上げて薬を飲ませたがどうしようもなかった。この時馬子が見て言うには茂介が死ん…

12月14日の天気です

元禄7年12月14日。快晴。

嶋崎兄弟は嫌われ者

元禄7年12月13日。未刻(午後1時)過ぎ、文左衛門は仲間と共に三左衛門殿へ参上する。そしてお言いつけの条目を承る。佐伯奥左衛門がこれを読み上げる。読み上げている間は三左衛門殿は奥へと入られる。近頃、栗木甚右衛門世倅同名円右衛門が乱心し、…

お礼参りも大変だ

元禄7年12月12日。雪が止み、晴れ渡る。辰刻(午前7時)、文左衛門は5本入りの扇箱を持って三左衛門殿と対面し、継目の礼をする。扇は1匁に2本ずつで代金は合わせて2匁5分、箱に1匁2分、台は30文。そこから与三右・六郎左へ行く。言伝を残し…

12月11日の天気です

元禄7年12月11日。夜、雪が1寸(1寸は約3センチ)降り積もる。

やっとこさ家督相続

元禄7年12月10日。快晴。文左衛門は親の名代として相原久兵のところへ概免の帳(税率帳)に判をつきに出かける。申刻(午後3時)、相原久兵から手紙が来て、文左衛門は三左衛門殿のところへ参上するように。急いで袴を着て、源右衛門と連れ立って出か…

重い罪だなあ

元禄7年12月9日。時々曇。わずかに雪が降る。夜になって雪が1寸(1寸は約3センチ)ほど積もる。巾下の似せ大名河野清右衛門、その家老と共に獄門となる。死体は様物になる。御道具9つの内4つは切れず。川口治部平がこれを切る。清右衛門妻子は追放…

12月7日の天気です

元禄7年12月7日。明け方、雪が少し降る。朝の間だけで、その後晴れる。その夜、時々雪が少し降る。

冬は火事が多いから

元禄7年12月6日。足軽頭以上を全員御城に呼び集め、火事の御定の御条目を仰せ渡される。御夜居の間で承る。

これも貧困が招いた不幸

元禄7年12月5日。昨年志水甲斐に御預けの塀和(垪和はが)藤八が許される。巾下似せ大名の仲間共の多くが追放となる。この日、先日女の子を絞め殺した者が判明し、牢に入る。石川伴太夫僕で、女の子はこの男の妹であった。最初この娘は伯母のところに住…

12月4日の天気です

元禄7年12月4日。時々薄曇り。

絵図もかけたのですか

元禄7年12月2日。文左衛門は中野分蔵のところへ出かける。絵図を頼まれて書く。夕飯をよばれる。

12月1日の天気です

元禄7年12月1日。曇時々雪が降る。夜、雪が5分(1分は約3ミリ)ばかり積もる。