名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

日々の苦しみを嘆く気持ちが爆発したのか

元禄7年12月29日。
御本丸番衆は大岡又右衛門・松井勘右衛門・岩本又左衛門であった。
今宵、又左衛門は酔っぱらったのか道具などを荒々しく放り投げるなど普段とは様子が違っていた。
おまけに寝具も用意せず、葛籠(つづら)にもたれて眠らなかった。
時々歯を食いしばり、目を見開いた。
又右衛門が驚いて後ろから抱きかかえると、無念と言って脇差を抜こうとした。
急いで勘右衛門は押さえ、取り上げようとするうちに、半分抜けて又左の指を切ってしまい、酔っぱらっていたとはいえ身を悶えて暴れ狂った。
そのため鮮血が夥しく流れ出て、又左・勘右はともに頭・手が血に染まり、畳にも流れ出した。
漸くしてやっと脇差を取り上げた。
又左もくたびれ少しおとなしくなり、そろそろ眠気をもよおした。
この間に銕(くろがね)御門の番が相原久兵へ知らせた。
久兵がすぐにやって来てこれを見ると三左衛門に知らせた。
三左衛門から御目付へ知らせ、丑の刻(午前1時)、平沢清助・佐伯奥左衛門やって来た。
そして又左を駕籠に乗せて連れて行った。
替りの番で阿部伝九郎が現れた。
又左衛門は極貧で、元日の上下衣服なども葛籠に入っていなかったと。