名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

年始の御挨拶で失態

元禄8年1月1日。
晴天。
この度、鳥目(銭)で御礼する輩は、それぞれの役一組一組に南上座北上座に順々に魚の鱗のように並び居り、礼銭を側に置く。
公は巳刻(午前9時)過ぎにお出ましになり、虎の間の唐紙2本を左右に老中が引く。御装束、折烏帽子、帯劔で参賀の人立ったまま御覧になり、すぐに唐紙を立てる。
その後、白獅子を書いた杉戸を開けると3つ挑子(銚子)が置いてある。
北の方に御簾がかけてある。
公はこの内にお座りとのことであったが、実は座ってみえなかったようである。
そうして1度に3人ずつ参上し、御土器(杯)を頂いて帰る。
これは先代の次第とは大いに違っていた。
頭の名前の張紙をした刀の置き場所が50人番所にあった。
組ごと別々に置くのでとても手際が良かった。
堀治部右衛門が承り、今度この仕事を勤めた。
1000石以上は書院でそれぞれ礼をする。
川村茂兵衛が礼をし損ねたと。
挑子を交換するときであったので参上するのを止めようとしたが、茂兵衛は無理に参上し、挑子がないのできょろきょろ立ち尽くした茂兵衛を御目付衆が引き戻したと。
茂兵衛は元々耳が少し遠かった。
この夜、曇。
夜中から雨が降り始める。