名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-05から1日間の記事一覧

命名なんてたわいないもの

元禄7年11月29日。未刻(午後1時)から曇る。少しの間、わずかに雪が降る。夜になって雪が降る。近頃、津守様(松平義行)御馬廻早川金左衛門が閉門となる。金左衛門下女が禁止されている衣類を着ていると柿羽織金左衛門のところへ届けが入った。金左…

11月27日の天気です

元禄7年11月27日。風が吹き、とても寒さが厳しい。

11月26日の天気です

元禄7年11月26日。風が少し吹き、寒い。

しかし引っ越しも大変だろうな

元禄7年11月25日。明け方から時々細かい雨が降る。辰半(午前8時)過ぎに晴れる。文左衛門は山崎平八と佐分源太左衛門の新屋敷に挨拶に行く。近頃、源太左衛門は70両を受け取って、千村弥右衛門と屋敷を交換していた。武平町下の新地。

11月24日の天気です

元禄7年11月24日。夜、曇。

なぜバレたんだろうな

元禄7年11月23日。御下屋敷で御弓の衆は最近のごとく根矢(実戦用の矢)で人形を射る。距離は30間(1間は約1.8メートル)で4本ずつ。(中略)寺社へ御法度の条目をお言いつけになる。別紙に写し置く。大脇十郎左衛門が先ごろ閉塞となっていたが…

これも大曽根屋敷の関係ですかね

元禄7年11月19日。雨。正午前から晴れる。建中寺前大田弥五右衛門、村瀬孫七が屋敷替えを仰せ付けられる。その後には御近習衆が入る。黒谷前自然院は寺地替仰せ付けられる。建中寺の下へと移転する。

11月18日の天気です

元禄7年11月18日。夜、雨が降る。

これはお畳奉行への第一歩、しかし広いなあ

元禄7年11月16日。文左衛門は御畳方手代4人から屋敷を受け取る。640坪。東南北26間7寸5分(1間は約1・8メートル、1寸は約3センチ、1分は約3ミリ)、西南北同、東西24間半。この夜、雨、霰(あられ)がしばらく降る。

11月14日の天気です

元禄7年11月14日。晴天。

11月13日の天気です

元禄7年11月13日。雪が降る。未刻(午後1時)過ぎに止み、2寸(1寸は約3センチ)ほど積もる。

11月12日の天気です

元禄7年11月12日。昨晩から寒風が吹く。時々曇り、寒さが肌を刺す。未刻(午後1時)前よりわずかに雪が降り始め、夜に入なると降り積もる。

この時代の人は結構残酷です

元禄7年11月11日。日の出前、文左衛門は加藤平左・相原政右衛門・同荻右衛門・岡本治部右衛門・都筑右衛門と連れ立って土器野へ処刑を見物に行く。投網を持って漁のふりをして出かける。午1刻(午前11時)に帰る。見物人が多く集まる。巳の刻(午前…

これも晴れの舞台ですね

元禄7年11月10日。曇っているが、時々晴れる。御黒門の向かいの矢場で公は御的を御覧になる。午1点(午前11時過ぎ)、公は西の小門から出られる。的が終わり、未の刻(午後1時)前に御城へお帰りになる。

70歳とは当時としては高齢ですね

元禄7年11月9日。巳半(午前10時)過ぎ、公は大殿様を訪れる。70歳のお祝いを行う。午(午前11時)前に帰られる。御祝のため嶋台、干肴を進められる。若尾源三郎が元の通り御目見に復帰する。この日拝謁に参上するが、どんな馬鹿をしたのかと人は…

11月6日の天気です

元禄7年11月6日。風が吹き、寒さ厳しくなる。

これぞ縦割り行政

元禄7年11月5日。近頃、御器所大池で夜の間に流しもちをする者がいた。夜が明けてなお2本残っていて色鳥(秋に渡ってくる小鳥)1羽かかっていた。鳥見がこの縄を高麗十左衛門に渡した。十左衛門は吉田七太夫に知らせた。その縄はとても手慣れた者の仕…

興味のない人もいるでしょうが

元禄7年11月3日。公は下屋敷で舞楽を行われる。御側物頭以上は見物するよう仰せ付けられる。楽名は安摩(あま)二の舞、新靺鞨(しんまか)、大平楽、還城楽、林謌(りんか)、陵王、納曽利。

あの津嶋の神職でしたっけ

元禄7年11月1日。長良村の免(税)が定まる。4ツ5分5厘(45.5%)。野崎村の免(税)は3ツ6分5厘(36.5%)。吉見宮内世倅(世継ぎ)三和貞右衛門惣領に仰せ付けられ、神職を勤める。貞右衛門初めは勝弥と名乗り、御禿(見習い?)に召し…