名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

命名なんてたわいないもの

元禄7年11月29日。
未刻(午後1時)から曇る。
少しの間、わずかに雪が降る。
夜になって雪が降る。
近頃、津守様(松平義行)御馬廻早川金左衛門が閉門となる。
金左衛門下女が禁止されている衣類を着ていると柿羽織金左衛門のところへ届けが入った。
金左衛門は釈明しようと柿羽織、柿羽織と呼びかけた。
これが柿羽織という名をがついた理由だと。
近頃、御城である者が御目付に柿羽織とはと尋ねると、目付は取り締まりの者で柿羽織という名はないと答えた。
世間では押之者を菖蒲皮という。
これは羽織によるものである。
それならば取り締まりの者は柿羽織を着ている。
それならばそう呼ぶのがふさわしいのではないかと。
目付はそれはもっともだと。
近頃、前津村で10ぐらいの女の子に口に縄をかけ、袋で頭を包み、細帯で絞殺し、小池に投げ入れ捨ててあった。
町中でも取り調べが行われた。