2023-02-24から1日間の記事一覧
元禄10年2月29日。晴。
元禄10年2月24日。晴。文左衛門は源右へ出かけ、夕飯をごちそうになる。障子に絵を描いて、夕方帰る。
元禄10年2月22日。午半刻(午後0時)過ぎると曇る。夜になると雨が降る。
元禄10年2月21日。暖かく、風が吹く。
元禄10年2月16日。文左衛門は一色茂左に切紙(私的な文書)を遣わす。その返事よると、先日のことは城代衆から直に御老中に話され、御下知(指示)により渡されるとのこと。文左衛門は未8刻(午後2時半過ぎ)に彦兵へ行き、会ってこのことを話して帰…
元禄10年2月15日。文左衛門は一色茂左衛門のところへ2度出かける。留守であったので、彦兵へ寄り、このことを言い残して帰る。
元禄10年2月13日。空、晴れ渡る。
元禄10年2月12日。辰刻(午前7時)過ぎ、文左衛門は一色茂左衛門のところへ出かけ、会って小右衛門の扶持について話をする。茂左衛門は仲間や勘定奉行と相談し、追って指示すると言う。文左衛門は帰りに彦兵へ寄って、このことを話す。彦兵の子息左門…
元禄10年2月11日。曇。昼から雨が降り出す。辰半刻(午前8時)、文左衛門は御蔵奉行衆のところへ出かけるが、留守とか仕事中とかで会えなかった。源蔵のところで待って再び出かけるが、帰ってこなかったので、彦兵へ寄ってこのことを言い置いてから帰…
元禄10年2月10日。昼過ぎ、彦兵から文左衛門に話したいことがあるので、今日都合のいい時間に来てほしいと。心配するようなことではないと。源太兵のところで鑓の稽古をしていたので、帰宅後未刻(午後1時)に彦兵へ出かける。彦兵が言うには、前嶋小…
元禄10年2月9日。この日御天守で繕い(修繕)が行われる。また中にす(簾)戸ができる。両天守奉行ならびに御作事奉行・手代・大工・左官・押之者・御中間人足がやって来て、未刻(午後1時)には終了する。
元禄10年2月6日。風が吹く。甚平の請判(保証のための判)を取る。切符(受け渡しの証拠札)1両2朱。
元禄10年1月27日。快晴。
元禄10年1月26日。松井三右衛門古の子十次郎7歳が死ぬ。23日から傷寒(熱病)を患っており、この日の戌刻(午後7時)に死ぬ。祖父伯母などの落胆は大変なものであった。贈名は陽嵓智秀。
元禄10年1月24日。この夜、小田切遊隠のところへ召仕甚平を遣わす。金子3両2分と銭300丁63文。
元禄10年1月19日。晴。
元禄10年1月18日。曇。巳刻(午前9時)、わずかに雪が降るが、その後止む。この日から若宮で操りが行われる。太夫は笹尾平太夫。狂言座本は和泉屋十三郎。
元禄10年1月17日。晴。風が吹く。
元禄10年1月16日。申刻(午後3時)から曇る。風が吹き、わずかに雨が降るがしばらくして止む。夜になって雲が薄れ、段々と晴れる。
元禄10年1月11日。文左衛門は近所の友と御乗始を見物に出かける。午1点(午前11時過ぎ)に始まる。公の御出はなし。浅利義太夫が見物のために北の土居の東にいたが、急に中風で死んでしまう。伊那庄左衛門のところで駕籠を借り、家へ帰す。近頃、名…
元禄10年1月9日。文左衛門は源太左へ鑓遣初め(新年の鑓の稽古)に出かける。
元禄10年1月5日。亥刻(午後9時)、文左衛門の住む町の北側で盗人が入ったと騒ぎになる。平野彦三郎のところへ入ったのを密かに叩き殺し、偽って隣へ逃げたと告げたため。西の方まで騒ぎ出すと。。
元禄10年1月4日。薄曇。
元禄10年1月3日。晴れて暖かい。夜は曇る。
元禄10年1月2日。晴れて暖かい。
元禄10年1月1日。御馬廻8番組で増田治兵衛・河野三右衛門・朝倉喜兵衛・佐藤弥次左衛門などが遅参する。御目付内藤弥右衛門がこれを確かめて言う。御触では6ツ半(午前7時)と言っているのに、もう辰刻(午前8時)である。もう少し待って来ない者は…