名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-01-15から1日間の記事一覧

どうも都合の悪いことが書いてあったような

元禄9年8月28日。薄曇。時々日の光が射す。今月27日、熱田御殿の腰板に張紙があった。すぐに奉行が剥がしたので何が書いてあったかわからずと云々。

葛籠の窃盗は本当か

元禄9年8月27日。曇。赤堀七郎左衛門若党が七郎左衛門に御預けとなる。縛り置かれる。

8月26日の天気です

元禄9年8月26日。曇。

なぜ3人だけ

元禄9年8月25日。快晴。公は御下屋敷において御弓の衆の遠矢を御覧になる。何れもよく勤めたので御褒になる。その上、時服(褒美の衣類)を21人に下される。師匠らはこれを納戸より請け取り、自ら渡す。その中で瀬尾仙右衛門・加藤仁右衛門・井上伊兵…

8月24日の天気です

元禄9年8月24日。雨が降る。午刻(午前11時)過ぎ、大雨となる。

主人はちゃんと僕に言い聞かせておかないと

元禄9年8月23日。快晴。申半(午後4時)過ぎから曇る。夜も曇。近頃、津田九郎右組江坂清左衛門が医者のところへ鰡(ぼら)を届けた。柿羽織に途中で出会い、このことを問い詰められた。僕が言うには、買って医者へ持って行くところだと。柿羽織は清左…

8月22日の天気です

元禄9年8月22日。雨が激しく降るが、夜更けには晴れる。

8月21日の天気です

元禄9年8月21日。雨が降り、辰半点(午前8時)には激しくなる。終日終夜、止まず。ただし夜になり、半更(午後8時)までは降らず。

窃盗事件に絡んでいたか

元禄9年8月20日。昨日の昼、赤堀七郎左衛門中間が逐電した。この朝、冨永彦兵衛より使いがやって来て、七郎左衛門兄の赤堀次郎兵衛僕ふたりを縛り、手鎖(手錠)をする。小頭衆もやって来る。しばらくすると彦兵家老進藤作太夫がやって来て、手鎖を免じ…

8月19日の天気です

元禄9年8月19日。終日終夜、雨が降る。

8月18日の天気です

元禄9年8月18日。薄曇。昼過ぎから雨が降り、夜になっても止まず。

理由は何であろう

元禄9年8月17日。薄曇。辰刻(午前7時)過ぎから雨が降る。夜になって止む。朝、文左衛門は教順寺へ出かける。妙超の49日の法事であった。近頃、隼人正組で叱りに逢う者があったと。詳しくはわからず。犬山で伊勢文之右衛門が閉門になる。このことか。

8月16日の天気です

元禄9年8月16日。夜、薄曇。

強欲な女房だなあ

元禄9年年8月15日。昼まで薄曇、その後快晴となる。この朝彦兵のところへ出かけるのは、祭礼のため三の丸あたりが混んでいるので延期する旨の廻場が小頭衆からある。少し前より岐阜屋で踊りを習う姿は華やかなものであった。岐阜屋の子の踊りは大小を揃…

楽しみにしていたのでは

元禄9年8月13日。晴天。夜更けに雨がしばらく降る。15日の祭礼では召仕の面々は車に付き添わぬようきつく申し付けると、成瀬又平治から檄が告げられる。

8月12日の天気です

元禄9年8月12日。申刻(午後3時)、空の色がたちまち変り、黒い雲が竹林を揺さぶる。しばらく雨が降るが、その後止む。夜更けに雨が降る。近頃永らく雨が降っていなかったので、この夜恵みの雨が降る。しかし、100分の1にも足らず。今日の昼間は厳…

どれぐらいの広さだったのだろう

元禄9年8月11日。黒門の向かい大腰掛(番所)の前、中通に新しい腰掛が出来上がる。初めのでは御目見衆が腰を掛けているには狭すぎたため。

次郎右衛門の遊び仲間

元禄9年8月10日。先月27日に戸を結ばれた町人全員が赦される。

養子にも取り決めがあるのだ

元禄9年8月9日。触がある。一 御預けの同心で養子を願う場合は兄弟・孫・同姓の甥・同従兄弟までの者なら願い出てもよい。このような親類のない者は同姓の又従兄弟までは願い出てよい。又従兄弟より遠い親類は同姓であっても願い出てはいけない。一 異姓…

遊んでばかりじゃないですか

元禄9年8月8日。夕飯後、文左衛門は勝川へ漁に出かける。夜になって鮎が8匹、鮠も獲れる。戌9刻(午後9時前)に帰る。この日から橘町で操りが行われ、太夫は山本土佐角太夫。

怖くないのかな

元禄9年8月7日。申半(午後4時)、文左衛門は冨永彦兵衛が江戸勤めを無事終えて帰って来たのでねぎらいに出かける。その帰り道、片場飯嶋七郎右衛門屋敷の上を飛ぶ光があった。大きさは手毬ほどで、形は鈴のようであった。光は穏やかで文左衛門が見たと…

迷惑な酔っ払いだなあ

元禄9年8月6日。文左衛門は才兵・忠兵へ出かける。忠兵のところで素麺・めし酒をごちそうになり、はなはだ酔っぱらう。帰路、神津安右のところで吐き、休憩して帰る。

悪友でも友情

元禄9年8月5日。明け方前から雨が降る。戌刻(午後7時)過ぎに止み、段々と晴れてくる。隼人正組の勘八兄荒川次郎右衛門が閉門となる。門に板で連子を釘打ちする。夕暮れ前に御馬廻星野勘八が改易となる。27日に岡部次郎右衛門世倅新平を小牧へ遊びに…

辛かっただろうに

元禄9年8月4日。少し前から内藤勘之丞の娘で井上権左衛門の妻が7日ほど昼夜を問わず産気づき、体中に苦痛がはしる。この日巳刻(午前9時)、子を産んで死んでしまう。夜、啓雲山法花寺で弔われる。戒名は清光妙涼禅尼。文左衛門は近友と参詣する。

やはり法事とかは大切なものです

元禄9年8月3日。文左衛門は朝岡源左衛門に番の交代を早めてもらい、すぐに教順寺へ出かける。妙超の五七(35日)の法事が行われる。